沼名前神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
沼名前神社 | |
---|---|
所在地=広島県福山市鞆町後地1225 | |
所在地 | -- |
主祭神 | 大綿津見命 須佐之男命 |
社格等 | 式内社・国幣小社・別表神社 |
例祭 | 5月2日 |
主な神事 | お弓神事 お手火神事 |
沼名前神社(ぬなくまじんじゃ)は広島県福山市の鞆の浦にある神社である。
大綿津見命を主祭神とし、須佐之男命を相殿に祀る。地元では「祇園さん」と呼ばれており、京都の祇園神社(八坂神社)の本社である。旧社格は国幣小社で、戦後は別表神社となった。
目次 |
[編集] 歴史
「沼名前神社」という社名は延喜式神名帳に見えるが、中世には所在が不明となっていた。近世に各地の式内社の考証が盛んになり、沼名前神社については「渡守(わたす)社」とする説が有力となった。渡守社は、社伝では神功皇后が当地で海中から得た霊石を祀り航海の安全を祈願したのに始まるとされ、祭神は「船玉命」とされていた。
渡守社は貞享2年(1685年)、『備後国風土記』に記載される「疫隈国(えんのくまのくにつ)社」に比定された「鞆祇園宮」の境内(現在地)に遷座した。明治4年(1871年)、鞆祇園宮が国幣小社に列したが、明治8年(1875年)には渡守社の方を代表として鞆祇園宮を合祀し、古名の沼名前神社に改称した。その際、渡守社の祭神であった船玉命は、海の神ということで大綿津見命とされた。
[編集] 境内
- 本殿
- 拝殿
- 八幡神社
- 竈社・塞社
- 松尾神社・稲荷社・地主社
- 厳島社・艮社
- 渡守社
- 護国社
- 天満宮
- 随身門
- 能見所
- 能舞台
- 楽屋
- 神馬舎
- 参集所
鞆の浦出身で森下仁丹の創始者である森下博の像がある。
[編集] 文化財
- 建造物
- 能舞台 - 国の重要文化財、徳川幕府により伏見城から福山城へ移築 1650年代に当神社に再び移築、日本唯一の組立式能舞台 豊臣秀吉が愛用したと伝わる。
- 能見所
- 随神門 - 1735年建立
- 第2鳥居(肥前鳥居) - 広島県指定重要文化財、1625年建立
- 工芸他
- 石燈籠一対(拝殿前) - 福山市指定重要文化財、1651年建立、六角形台座、高さ3.24m
- 力石 - 福山市指定重要文化財
- 稜威の高鞆 - 実物非公開。「鞆の浦」とされる「鞆」が描かれている
- 翁面 - 福山市指定重要文化財、非公開、桃山時代
[編集] 特殊神事
- お弓神事 - 福山市無形文化財、2月第2日曜
- お手火神事 - 福山市無形文化財、7月第2日曜の前夜