浅野目義英
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浅野目 義英(あさのめ よしひで、1958年5月27日 - )は、元上尾市議会議長、衆議院議員武正公一元政策秘書。
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[編集] 政界入り以前
東京都出身。生まれてすぐ、父の郷里の米沢で幼年期をおくり、4歳から埼玉県。戸田市、蕨市などを転居し、7歳から上尾市。家庭の事情で高校生(上尾高校)から原市団地で一人暮らしを送る。
法政大学に進み弁論部に所属、新党運動ならびに二党存立論を主張。 滋賀県甲賀郡土山町議会選挙(馬場康次)を皮切りとして埼玉地方区参議院議員選挙(森田重郎)などで選挙ボランティアを経験。 新自由クラブに入党。同全国連合・青年協議会副代表。 卒業後、桶川市立北小学校の教師に赴任。
[編集] 上尾市議時代
1983年12月に新自由クラブ推薦で立候補。地縁血縁の全くない地で最年少の25歳で初当選(ちなみに埼玉県唯一の20代市議)した。以後、4期務め1995年、4期目の当選直後に全国最年少記録の37歳で市議会議長に就任する。 28歳の時長男授かる。780gで生まれた瀕死のわが子を見た時、命というもののはかなさと重大さを思い知る。
[編集] 国政転進不調・市長選挙落選・予備校講師・民主党入り
市議会議長就任直後に埼玉第6区から衆院選への出馬を企図するが、自民党公認を得るには至らず、単独での国政転進もならなかった。
2000年2月に行われた上尾市長選挙に立候補、落選。その後、「家族を養うために」大学受験予備校講師となるが、2003年7月から武正公一の政策担当秘書となる。2006年6月に武正事務所を退職して、民主党埼玉県第1区総支部幹事に就任。
[編集] 埼玉県議となる
2007年4月、統一地方選挙埼玉県議会議員選挙に南9区(さいたま市浦和区)から民主党公認で立候補し第1位(21,574票)で初当選した。