浦上春琴
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浦上春琴(うらがみ しゅんきん、安永8年(1779年) - 弘化3年5月23日(1846年6月16日))は、江戸時代後期の日本の文人画家。
当時、鴨方藩士だった浦上玉堂の長子として備前国(現 岡山県)に生まれる。浦上秋琴は実弟。戦国大名・浦上氏の末裔である。 名は選(せん)、字を伯挙(はくきょ)、十千(じゅっせん)、号は春琴のほかに睡菴(すいあん)、文鏡亭(ぶんきょうてい)、二卿(にきょう)。通称は紀一郎(きいちろう)、もしくは喜一郎。
幼少の頃より、父 玉堂より書画の手ほどきを受ける。寛政4年(1792年)ころより、如意道人によって父 玉堂とともに春琴の作品が買い上げられている。(如意道人蒐集書画帖)。寛政4年(1792年)14歳のころ、母が死去。寛政6年(1794年)父 玉堂が脱藩。父子で諸国を歴遊する。江戸、長崎では画塾に通い、古書画を研鑽する。 遊歴を終え、20代で京都に定住し、頼山陽や田能村竹田、岡田米山人・半江、篠崎小竹、貫名海屋、柏木如亭ら著名な文人・墨客との交わりを深める。
文化8年(1811年)藤木氏瀧と結婚。文化10年(1813年)、父 玉堂と同居(柳馬場二条北)し夫婦で世話をする。文政3年(1820年)父 玉堂歿。
山水画、花鳥画に優れ、精彩で巧みでありながら透き通るような気品のある作風であった。中林竹洞や山本梅逸らと名声を競った。当時は父 玉堂の作品よりよく売れたという。また書道・詩文に優れ、器物、書画の鑑定にも秀でていた。
弘化3年5月歿、享年68。
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[編集] 代表作
[編集] 著作
[編集] 関連書籍
- 『平安人物誌』
[編集] 門弟
- 河北春谷
- 霞山(僧)
- 浦上春甫 実子
- 稲垣子復
- 鳥越烟村
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- 帆足杏雨
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