海南島事件
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海南島事件(かいなんとうじけん)とは、2001年に海南島付近の南シナ海上空で米中両国の軍用機が空中衝突し、中国側の戦闘機が墜落しパイロットが行方不明になり、アメリカ側の電子偵察機も損傷し海南島に不時着したものの中国側に身柄を拘束された事件である。この事件のため一時的に米中間の軍事的摩擦が高まることとなった。
[編集] 事件の概略
2001年4月1日、午前8時55分(中華人民共和国標準時)、海南島から東南に110Kmの南シナ海上空の公海上で中国国内の無線通信傍受の偵察活動をしていたアメリカ合衆国海軍所属の電子偵察機EP-3Eと中国人民解放軍海軍航空隊所属のJ-8II戦闘機が空中衝突する事故が発生した。
そのため中国軍機が墜落しパイロットが行方不明になった。一方のアメリカ軍偵察機は大きな損傷を負ったが至近の海南島の飛行場に午前9時33分に不時着した。しかし搭乗員は中国当局によって身柄を拘束された。
[編集] 事件の反応
この時期の米中関係は険悪なものであった。これは1999年5月のコソボ紛争でNATO軍の一員として武力制裁に参加していたアメリカ軍機が新ユーゴスラビア(当時)の首都ベオグラードにあった中国大使館をユーゴ政府の政府機関と誤認して爆撃した事件によって、中国国内ではユーゴを支援する中国政府に対する意図的な報復行為であるとして中国国内で反米暴動が起きるなどの緊張が高まっていた。またアメリカのブッシュ政権が中国を冷戦後の「戦略的競争相手」として将来軍事的脅威になると指摘したため米中間の軍事緊張が高まっていた矢先の出来事であった。
そのため中国側は、アメリカ軍機が領空侵犯したうえ、わざと急旋回して中国機との衝突を招いたとして非難し、一方のアメリカ側は空中衝突の原因は中国軍機の挑発行為であると反論し、搭乗員と機体の即時返還を要求した。また行方不明になった中国人パイロットが、以前にも同様の挑発行為をしており、操縦席から自分のメールアドレスを示していたとして、このような中国軍機のパイロットによる常軌を逸した行動があったと主張した。
しかしながら、米中両国政府はこれ以上の軍事的対立のエスカレーションは望んでいなかったため、5月24日に機体返還の合意が発表され、事件は決着をみた。ただし、これも中国側が法外な”駐機料”を請求するなどハプニングがあった。
[編集] 事件後
アメリカの電子偵察機は不時着までに収集した情報などは抹消したと思われるが、中国側によって機体調査が行われたため、アメリカ軍は偵察システムの変更を余儀なくされたともいわれている。
結果的に、事件の原因は米中のいずれまたは双方に原因があったのかや、ただの偶発的に発生した事件なのか、米国の意図的な挑発なのかは明らかではない。また米中間の軍事的関係は「氷点下」にまで悪化したが、最近では改善の兆しがあるという。しかしながら、今後も同様な偶発的または意図的な事件が発生する危惧は依然としてあるといえる。
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