渡辺義雄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
渡辺義雄(わたなべ よしお 1907年4月21日 - 2000年7月21日)は写真家。建築写真の第一人者で、写真家としては日本で唯一の文化功労者である。
[編集] 略歴
新潟県南蒲原郡三条町(現在の三条市)に生まれる。1928年東京写真専門学校(現東京工芸大学)卒業。6年間「オリエンタル写真工業」(「オー社」)にエンンジニアとして勤務。勤務時代より小型写真機を使用した東京の習俗のスナップ写真のほか、退職後は、大型写真機を使用して1枚1枚を丹精込めて撮影する建築写真を本業とした。
戦前からモダンな建築写真を発表。戦後の代表作には、「伊勢神宮」(毎日芸術賞)、「奈良六大寺大観」等がある。1950年日本写真家協会の設立の発起人且つ主宰者となり、1958年から23年間会長を務めた。また、東京都写真美術館では1990年の第一次開館時から館長を務めた。1990年、文化功労者、三条市名誉市民となる。2000年、東京都内にて死去。
写真会社に勤めていたこともあって、写真化学に詳しく、且つ光学器械の技術内容にも明るかった。写真家は撮影器機をもっと大切にしなければならない、そして「カメラをもって町に出よう、人の生活、動きを撮影しよう」と、日大芸術学部の学生や東京写真大学(現 東京工芸大学)の後輩達に訓示していた。とりわけ写材としての「建築物」に対しては、敬虔さを決して失うことなく、該建築物の創作者と創作物を尊敬すべきであると日々述べていた。そして、「一回のシャッターに魂を込めろ」とも訓示していた。非常に優しい写真家で後進の面倒をよくみていた。