満州国国務院
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満州国国務院(まんしゅうこくこくむいん)とは、満州国における行政機関。同国は議会を持たなかったため、国政の最高機関であった。 体制上は国家元首である溥儀の直属の組織であったが、実際の国務院には関東軍から送り込まれた日本人が要職を押さえていたため、溥儀であっても自由にできない組織であった。
[編集] 組織 - 1932年(大同元年)
1932年の満州国建国時、国務院は「国務総理」を頂点として、その下部組織として部を持っていた。各部の長は「総長」である。 満州国建国当初の国務院の主要要人は下記のとおりである。
国務院総理 | 鄭孝胥 | |||
民政部総長 | 臧式毅 | 民政部次長 | 葆康 | |
文教部総長 | 鄭孝胥 | 文教部次長 | 許汝棻 | |
外交部総長 | 謝介石 | 外交部次長 | 大橋忠一 | |
軍政部総長 | 馬占山 | 軍政部次長 | 王静修 | |
司法部総長 | 馮涵清 | 司法部次長 | 古田正武 | |
財政部総長 | 熙洽 | 財政部次長 | 孫其昌 | |
実業部総長 | 張燕卿 | 実業部次長 | 高橋康順 | |
交通部総長 | 丁鑑修 | 交通部次長 | 平井出貞三 |
このとおり、次官級の官僚にさえ日本人が登用されており、さらに実務担当にも相当数の日本人が登用されていた。また、人事権については「関東軍司令官との協議」を必須としていた。このため、国務院は満州国の行政機関でありながら、日本(関東軍)にとって都合のいいように差配されていたのである。
[編集] 組織 - 1934年(康徳元年)
1934年に溥儀が皇帝に即位すると、各役職名は変更された。
- 国務院総理 → 国務総理大臣
- 総長 → 大臣
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