源信 (公卿)
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源信(みなもと の まこと、弘仁元年(810年) - 貞観10年閏12月28日(869年2月13日))は平安時代前期の公卿。源氏の祖で初代源氏長者。父は嵯峨天皇、母は広井氏または広幡氏、藤井氏ともいう。
弘仁5年(814年)、源朝臣の姓を賜り、左京一条坊に貫付せられて戸主となった。常(ときわ)、定(さだむ)、融(とおる)という弟とともに嵯峨源氏と呼ばれ、朝廷内での一大勢力となる。22歳で参議、天安元年(857年)左大臣。
貞観8年(866年)応天門の変で不仲であった大納言伴善男の誣告により放火の嫌疑を受け、邸を包囲され、絶望した家の人々が嘆き悲しむ様子が伴大納言絵詞に描かれている。太政大臣藤原良房の弁護により無実となる。
この事件は信に大きな精神的打撃を与え、以後門を閉じて篭居していたが、貞観10年閏12月28日(869年2月13日)、気分転換の為狩猟に出かけるが、その最中に落馬して深泥におちいった。救い出されたが数日後に没した。翌年、贈正一位。
[編集] 参考文献
- 『国史大事典 第13巻』吉川弘文館 国史大辞典編集委員会(編)ISBN 4642005137