大納言
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大納言(だいなごん)
- 日本の古代律令制度化での官位の一つ。この項で詳しく説明する。
- 植物名称の一つ。大納言(だいなごん)は、マメ科ササゲ属に属するアズキの一種。皮に独特の風味があり、煮込んで粒あんにすると柔らかな皮の食感が餡と調和するため高級和菓子で良く使われている。
- 大阪市にある和菓子会社。「茜丸五色どらやき」で有名。→茜丸本舗大納言
大納言(だいなごん)は、朝廷組織の最高機関、太政官の職の一つで、左大臣・右大臣・内大臣に次ぐ官位で、四等官の中の次官(すけ)に相当する。唐名(漢風名称)は亜相(あしょう)・亜槐(あかい)。いずれも大臣(相、槐門)に亜(つ)ぐもの、の意味。「龍作の官」と呼ばれるのは書経に「龍、なんじ納言(言をいれる)を作(な)せ」とあるのによる。正三位相当官。江戸時代には徳川家のうち将軍世子および尾張家紀伊家が任じられた。
主な職掌は、大臣の仕事を補佐し朝議に加わりそれを施行することで、定員は始め4人であったが、705年の中納言の復活と共に2人に減らされる。しかしながら平安時代に権大納言(大納言の権官で定数は3人。のちに増員)が置かれ、定員は実質増員されている。後世では多いときでは8人が任じられていたが、後鳥羽天皇の治世以降定員は6人と定められ、もっぱら権大納言のみが置かれて正官の大納言は置かれないというケースが増えてきている。道鏡政権下では大納言と同格の法臣が置かれ僧侶が任命された。
目次 |
[編集] 主な大納言
名前 | 在職年 | 在職時の天皇 | 備考 |
---|---|---|---|
大伴御行 | 701年 | 文武 | |
石上麻呂 | 701年 - 704年 | 文武 | |
藤原不比等 | 701年 - 708年 | 文武、元明 | |
紀麻呂 | 701年 - 705年 | 文武 | |
大伴安麻呂 | 705年 - 714年 | 文武、元明 | |
長屋王 | 718年 - 721年 | 元正 | |
阿倍宿奈麻呂 | 718年 - 720年 | 元正 | |
多治比池守 | 721年 - 730年 | 元正、聖武 | |
藤原武智麻呂 | 729年 - 734年 | 聖武 | |
大伴旅人 | 730年 - 731年 | 聖武 | |
橘諸兄 | 737年 - 738年 | 聖武 | |
藤原豊成 | 740年 - 749年 | 聖武、孝謙 | |
巨勢奈弖麻呂 | 749年 - 753年 | 聖武、孝謙 | |
藤原仲麻呂 | 749年 - 757年 | 聖武、孝謙 | |
石川年足 | 758年 - 762年 | 孝謙、淳仁 | |
文室浄三 | 762年 - 764年 | 孝謙、淳仁 | |
藤原永手 | 764年 - 766年 | 淳仁、称徳 | |
白壁王 | 766年 - 770年 | 称徳 | →(即位)光仁天皇 |
藤原真楯 | 766年 | 称徳 | |
吉備真備 | 766年 | 称徳 | |
弓削浄人 | 768年 - 770年 | 称徳、光仁 | |
大中臣清麿 | 768年 - 771年 | 称徳、光仁 | |
文室大市 | 771年 - 777年 | 光仁 | |
藤原魚名 | 771年 - 778年 | 光仁 | |
石上宅嗣 | 780年 - 781年 | 光仁、桓武 | |
藤原田麻呂 | 781年 | 光仁、桓武 | |
藤原是公 | 782年 - 783年 | 桓武 | 牛屋大臣 |
藤原継縄 | 783年 - 790年 | 桓武 | |
藤原小黒麻呂 | 790年 - 794年 | 桓武 | |
紀船守 | 791年 - 792年 | 桓武 | |
紀古佐美 | 796年 - 797年 | 桓武 | |
神王 | 796年 - 798年 | 桓武 | |
壹志濃王 | 798年 - 805年 | 桓武 | |
藤原雄友 | 806年 - 807年 | 桓武、平城 | |
藤原内麻呂 | 806年 | 桓武、平城 | 後長岡大臣 |
藤原園人 | 810年 - 812年 | 嵯峨 | |
坂上田村麻呂 | 810年 - 811年 | 嵯峨 | |
藤原冬嗣 | 818年 - 821年 | 嵯峨 | |
藤原緒嗣 | 821年 - 825年 | 嵯峨、淳和 | |
良峰安世 | 828年 - 830年 | 淳和 | |
藤原三守 | 828年 - 838年 | 淳和、仁明 | |
清原夏野 | 830年 - 832年 | 淳和 | |
源常 | 838年 - 840年 | 仁明 | |
藤原愛発 | 840年 - 842年 | 仁明 | |
橘氏公 | 842年 - 844年 | 仁明 | |
藤原良房 | 843年 - 848年 | 仁明 | |
源信 | 848年 - 857年 | 仁明、文徳 | 北辺大臣 |
藤原良相 | 856年 - 857年 | 文徳 | |
安倍安仁 | 857年 - 859年 | 文徳、清和 | |
源定 | 859年 - 863年 | 清和 | 陽院大納言 |
源弘 | 859年 - 863年 | 清和 | 廣幡大納言 |
平高棟 | 864年 - 867年 | 清和 | |
伴善男 | 864年 - 866年 | 清和 | |
藤原氏宗 | 867年 - 870年 | 清和 | |
源融 | 870年 - 872年 | 清和 | |
藤原基経 | 870年 - 872年 | 清和 | |
源多 | 872年 - 882年 | 清和、陽成 | |
藤原常行 | 872年 - 875年 | 清和 | 西三條右大将 |
南淵年名 | 876年 - 877年 | 清和、陽成 | |
藤原良世 | 882年 - 891年 | 陽成、光孝 | |
藤原冬緒 | 882年 - 887年 | 陽成、光孝 | |
源能有 | 891年 - 869年 | 光孝、宇多 | |
藤原時平 | 897年 - 年 | 宇多、醍醐 |
[編集] 主な権大納言
名前 | 在職年 | 在職時の天皇 | 備考 |
---|---|---|---|
清原夏野 | 828年 - 830年 | 淳和 | |
藤原良相 | 854年 - 855年 | 文徳 | |
安倍安仁 | 856年 - 857年 | 文徳 | |
藤原氏宗 | 864年 - 867年 | 清和 |
[編集] 参考文献
- 『公卿補任』吉川弘文館
[編集] 関連項目
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