源氏
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源氏(げんじ)
- 源(みなもと)を姓とする一族。本項で詳述。
- 源氏物語の略。また、その主人公光源氏の略。
- 高河ゆん原作の漫画。
- 甲類焼酎の銘柄。創業者の先祖、及び創業地が源氏関係だったことに由来。現在はアサヒビールから発売中。
源氏(げんじ、みなもとうじ)は、「源」を氏・姓(本姓)とする一族である。日本においては皇族が臣籍降下する際に名乗る氏の一つであった。姓(カバネ)は朝臣。もっとも有名なものは、幕府を開いた将軍を輩出した清和源氏だが、他に多数ある。
目次 |
概要
起源
源氏は源の姓を持つ氏族であるが、その起源は中国の王朝、北魏の禿髪破羌が太武帝から与えられた姓による。禿髪破羌は源賀と称した。北魏の皇室と禿髪破羌の家系は祖を同じくしており、北魏の皇室が「元」に姓を改める前の「拓跋」と「禿髪」は同じ音に別の漢字を与えたものであった。そのことの由来して、太武帝は「元」に音も意味も似ている「源」の字を選び与えた。そのことを支那の歴史に詳しかった嵯峨天皇が生まれた子らにその姓を与え、皇室と祖を同じくするという名誉の意味をこめて与えた。そのため、嵯峨天皇の子で源姓を与えられた子らは、名も支那風の一字にしている。
嵯峨天皇が生まれた皇子皇女が増え、朝廷の財政を逼迫させる基にもなることから、早くに臣籍降下することが皇胤にとって子孫繁栄の道であった。親王ながら、皇位を望めない場合や、諸王にあって親王宣下を望めない皇族が自ら降下を求める場合と、朝廷から一方的に降下させる場合とがあり皇別氏族を取り巻く状況は朝廷の財政事情と常に連動する要素が強かった。
嵯峨天皇の後の天皇も度々皇族を源氏として臣籍に下したことから、嵯峨天皇を祖とする源氏を嵯峨源氏と称する様になり、以後源氏はそれぞれの祖と仰ぐ天皇の号をもって氏族の称とした(仁明源氏、文徳源氏、清和源氏、宇多源氏など)。また、朝廷が皇族を臣籍降下させ源氏とした背景としては、上級貴族として皇室の藩塀とすることという理由もあったが、実際には3代目以降も上級貴族であり続けた例はほとんどなく、大半は受領階級として地方へ赴任しそこで土着して武士化するか、中央で中下級貴族として細々と生き延びた。他に、皇族に対して賜った姓としては、他に在原朝臣、平朝臣などがある。
武家源氏と公家源氏
清和源氏は、二十一流あるといわれる源氏における一家系であるが、武家源氏として歴史上に名を馳せたことにより、清和源氏をして源氏と称することが多い。
この一族は清和天皇の皇子を祖とする。武家源氏として名を馳せた清和源氏においては畿内に始まり各地に土着しており、源満仲の子から摂津源氏、大和源氏、河内源氏とに分かれ、河内国を本拠地とした河内源氏の源義家(八幡太郎義家)はその主流で、その子孫は鎌倉幕府を開いた源頼朝に代表される武門として栄えた。摂津源氏からは多田源氏、美濃源氏が分派しており、河内源氏からは石川源氏、甲斐源氏、常陸源氏、下野源氏(足利氏)、上野源氏(新田氏)などが分派しているが、いずれも清和源氏一門であり、所謂「武家源氏」である。
清和源氏以外に武家となった源氏としては嵯峨源氏の源融を祖とする融流嵯峨源氏があり、嵯峨源氏の武家として系譜を伝えた代表は、摂津国を基盤とした渡辺氏であり、また宇多源氏の中で武家として近江国を基盤とした系統は近江源氏(佐佐木源氏)と称し、佐々木氏として有力武士団に成長していく。
中央貴族として栄えた源氏として村上天皇の皇子を祖とする村上源氏がある。同じ源氏でも公卿として繁栄する系統や、武士や神官となる層と別れるのも、政治情勢や臣籍降下する者、母方の勢力、身分がその後の官途に大きく左右する為である。特に天皇の皇子が降下することを、「一世の源氏」といい、任官の上で大いに優遇された。皇孫に至って臣籍降下することを「二世の源氏」といい、一世の源氏よりも家系的には不利を蒙った。
平安後期以降、皇位継承とは関わりのない皇子皇女たちは出家する慣例が生まれたため、賜姓源氏はほとんど途絶えていたが、江戸時代に入って一家が生まれた。嵯峨天皇以来、21代の天皇の子孫に源氏が与えられたと言われている(源氏を与えられた当人やその子の代で断絶・消滅した家も含めて)。
おもな源氏
嵯峨源氏
52代嵯峨天皇の子孫。嵯峨天皇は多くの皇子皇女に源氏姓を賜り臣籍降下させた。
源氏初代となる源信(みなもとの・まこと)、源常(-ときわ)、源弘(-ひろむ)、源融(-とおる)などで、朝廷の一大勢力をなした。中でも左大臣に上った源融の子孫は嵯峨源氏融流として最も有名で、源融は、紫式部『源氏物語』の主人公の光源氏の実在モデルともされる人物。
朝廷において一大勢力を形成した嵯峨源氏も、3代目以降で上級貴族であり続けた例はほとんどなく、中下級の貴族として細々と生きるか、受領として地方に赴任し、その地に土着して武士となり新境地を開くしかなかった。
嵯峨源氏で後世に子孫を伝えたのは、源融の後裔で、地方に土着して武家となった系統(融流嵯峨源氏)であり、その代表が摂津国渡辺(現・大阪市中央区)に住み、同地を本拠地とした源綱(渡辺綱、渡辺源次綱)を祖とする渡辺氏である。
渡辺綱は、源融ゆずりの美男子だが、清和源氏の源頼光の四天王筆頭とされる剛勇な武者でもあり、大江山の酒呑童子退治説話などで活躍。渡辺氏は摂津の住之江(大阪湾)で行われる天皇の清めの儀式に従事する天皇警護の滝口武者の一族であるとともに水軍として瀬戸内海の水軍の棟梁格の武家。
北九州の水軍松浦党の惣領氏として知られる松浦氏もまた渡辺氏から分かれたもので、渡辺綱の孫で、肥前国松浦郡の宇野御厨の荘官(検校)として九州に下った源久(渡辺源次久、渡辺久、松浦久)を祖とする。
渡辺氏以外の融流嵯峨源氏としては、源融の孫の源是茂(源宛の父の源仕の弟)の流れを汲み、肥前国に天皇家直轄の鳥羽院領神埼荘の荘官(荘司)として下向した源満末がおり、その孫で筑後国三潴郡の地頭となった源久直を祖とする九州柳川の蒲池氏がある。他に筑後の三池氏や草野氏も嵯峨源氏の子孫説がある。
また関東に勢力を張り、平将門の乱においても重要な存在となる常陸大掾の源護とその一族もまた武蔵権介の源宛(箕田宛)と同族の嵯峨源氏であろうとされている。
嵯峨源氏の項も参照のこと。
仁明源氏
54代仁明天皇の子孫。清和源氏の源満仲の妻の父であり、嵯峨源氏の源綱(渡辺綱)の養父の源敦が知られる。
清和源氏
56代清和天皇の子孫。もっとも栄えたのは第六皇子・貞純親王の子・六孫王経基の子孫。経基の嫡男の源満仲は、摂津国多田(現・兵庫県川西市多田)に源氏武士団の本拠地を形成。
満仲の子は、嫡男の源頼光が摂津源氏(現・兵庫県川西市多田)、次男の源頼親が大和源氏(現・奈良県宇野)、三男の源頼信が河内源氏(現・大阪府羽曳野市壺井)となり、いずれも畿内(関西)を本拠地とする。
清和源氏の嫡流は、源頼光の摂津源氏であり京を活動の主舞台とし、天皇を警護する大内守護の任を相続した。
後世、源氏の代表のように見られるのは、源頼信の河内源氏であり、頼信が平忠常の乱を平定し、その子の頼義、孫の義家は、前九年・後三年の役で、関東・東国に勢力を扶植し、畿内の河内源氏は坂東武士を傘下にして武家棟梁となる。
源氏の系譜においては、あえていえば「源家嫡流の摂津源氏」、「武家棟梁の河内源氏」と性格づけられよう。しかし、嫡流の摂津源氏が源頼政をはじめ宇治で討ち死にし、変わって河内源氏後裔の源頼朝が鎌倉幕府を開き、新たに自らを源氏嫡流と称したことから、頼朝の祖の河内源氏が、新たな源氏嫡流とされるようになる。源頼朝の一族が滅びると、源氏一族でもっとも勢力を持ち、頼朝の一族に系譜的に近い、源義家の四男の源義国の子孫の足利氏が室町幕府を開き、源氏嫡流を称する。
鎌倉幕府を開いた源頼朝もまた河内源氏の後裔であり、義家の子の源義国の子孫の新田氏(上野源氏)、山名氏(新田氏支流)、里見氏(新田氏支流)徳川氏(新田氏支流だが、仮冒系図の可能性が高い)、足利氏(下野源氏)、今川氏(足利氏支流)、細川氏(足利氏支流)、吉良氏(足利氏支流)や、義家の弟の源義光の子孫の武田氏(甲斐源氏)、南部氏(武田氏支流)、小笠原氏(武田氏支流)、佐竹氏(常陸源氏)、三好氏などの諸族も、すべて河内源氏の後裔である。
摂津源氏の後裔としては、源平合戦時に活躍した多田行綱など多田氏や源頼政の後裔・太田氏をはじめ、摂津の能勢氏、信濃の村上氏や美濃の土岐氏があり、さらに土岐氏から別れた明智氏や甲斐の馬場氏などがある。
兵庫県川西市は清和源氏の源満仲が領して源氏武士団を形成し、満仲の嫡男の源頼光の嫡流である摂津源氏が代々相続した地であり、源氏のふるさと大使という観光大使を置き、地域振興に務めている。
また、大阪府羽曳野市は、源頼信、源頼義、源義家と続く武家棟梁となった河内源氏の本拠地であり、河内源氏三代の墓や氏神がある。さらに神奈川県鎌倉市も源頼義以来、河内源氏の東国における前線基地的なゆかりの地である。
清和源氏の項も参照のこと。
陽成源氏
57代陽成天皇の子孫。清和源氏の源満仲は実は陽成源氏の出自であったとする説がある。詳細は貞純親王の項を見よ。
宇多源氏
59代宇多天皇の子孫。源雅信(左大臣)は藤原道長の舅になり、その子孫から庭田家・綾小路家・大原家・五辻家・慈光寺家の5堂上家を出した他、近江に土着した佐々木氏は別名、近江源氏あるいは佐佐木源氏ともいい武家として繁栄した。
醍醐源氏
60代醍醐天皇の子孫。醍醐天皇の第十皇子・源高明(たかあきら)が左大臣にのぼったが藤原氏と対立し追放された。源高明は有職故実に深く通じ、その著『西宮記』は平安時代以降、朝廷の公事典礼の典型となる。織田信長の家臣河尻秀隆の家は源高明の子孫、醍醐源氏を称する。なお、源高明の昇進・配流などの経歴が『源氏物語』の主人公・光源氏に酷似しているため、源高明こそが光源氏のモデルとする説もあり。 この他、醍醐天皇の第一皇子・克明親王の子・源博雅も醍醐源氏。
村上源氏
62代村上天皇の子孫。源氏長者の一族。天皇の子・具平親王の娘源隆姫が藤原頼通の正室となり、親王の死後には息子の源師房(資定王)も義兄・頼通の養子として育てられる。師房は頼通の父・藤原道長からも愛されてその娘婿となり、最後は右大臣にまで昇った。以後も村上源氏と摂関家の協力関係は続き、多くの堂上家を輩出する。鎌倉時代初頭の土御門通親は「飛将軍」と呼ばれるほどの実力者でその子供たちは堀川・久我・土御門・中院の四家に分立した(ちなみに僧侶になった末子が後の道元である)。南北朝時代に活躍する北畠親房や北畠顕家は中院家の庶流である。また赤松則村(円心)の赤松氏は、村上源氏季房流と称した。明治維新で活躍した岩倉具視もこの流れである。
村上源氏の項も参照のこと。
花山源氏
65代花山天皇の子孫。堂上家の白川伯王家となり、神祇伯を世襲して神道を統括した。
後白河源氏
77代後白河天皇の第二皇子・以仁王(高倉宮)。以仁王は異母弟・高倉天皇が平氏の母より生まれたため、皇子でありながら平家の影響によって親王宣下がなされず、ついに治承4年(1180年)に平家の専横に反発して源頼政とともに挙兵するが、敗死。そのため皇族殺害の汚名をおそれた平清盛の計らいにより、源姓を賜与されて名も「源以光」と改められ、まだ生存していて流罪となったとされる。だが、そのため「以仁王の令旨」は、まだ本人が生存しているので有効との見方がなされ、諸国の源氏に平家打倒の口実を与える結果となる。
後嵯峨源氏
88代後嵯峨天皇の孫・源惟康。後嵯峨天皇の第二皇子宗尊親王が鎌倉将軍(6代将軍)を退いた後、その一男で7代将軍に就任した惟康王に対し、源姓が賜与されて「源惟康」となる。ただし、その後鎌倉幕府が惟康を京へ追放し、代わりに久明親王を将軍に迎えるため、その下準備として幕府の要請により朝廷より惟康に対して親王宣下がなされ、惟康は皇族に復帰。すなわち「後嵯峨源氏」は惟康一代で終わる。
正親町源氏
系譜
凡例 太線は実子。細線ならびに二重線は養子。(苗字無しは臣下に下った源氏・一部苗字無しは僧。)
なおこの系図からは仁明平氏、光孝平氏など(平氏)は除くものとする。
嵯峨源氏
〈源氏(嵯峨源氏)〉[vol.1 正良親王~源寛] 嵯峨天皇 ┣━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┳━━━━┳━━━┓ 正良親王 秀良親王 業良親王 忠良親王 基良親王 淳王 信 ┏━━┳━━┳━━┳━━┳━━┳━━┳━━┫ 叶 平 謹 有 好 保 任 昌 ┃ ┃ 播 諧 ┃ ┃ 固 計 ┣━━┓ 萠 文
〈源氏(嵯峨源氏)〉[vol.2 源弘] 嵯峨天皇 ┃ 弘 ┣━━┳━━┳━━┳━━┳━━┳━━━━━━━━┳━━━━━━━━┳━━┳━━┳━━┓ 同 撰 隻 弼 道 希 悦 愗 就 昭 近 ┃ ┃ ┏━━┫ ┣━━┓ ┃ ┃ ┃ 平 忠 号 等 沿 鑑 渡 尹 致 ┃ ┃ ┣━━┳━━┓ ┣━━┳━━┓ ┃ 洽 都 斉 済 学 揚 守 任 撰 ┃ ┣━━┓ 識 撰 治
〈源氏(嵯峨源氏)〉[vol.3 源常・定] 嵯峨天皇 ┣━━━━━━━━━━━━━━┓ 常 定 ┣━━┳━━┳━━┳━━┓ ┣━━┳━━┳━━┳━━┓ 興 頴 直 相 備 包 宥 至 精 唱 ┃ ┃ ┃ ┃ ┏━━┫ ┃ ┣━━┳━━┓ 教 同 増 同 挙 尚 浮 洪 俊 泉 ┃ ┃ ┃ ┏━━┫ ┣━━┳━━┓ 超 順 趁 把 沃 連 比 加 ┃ ┃ 聞 貞 ┃ 教
〈源氏(嵯峨源氏)〉[vol.4 源明~源安] 嵯峨天皇 ┣━━━━━━━━━━━┳━━━━━┳━━┳━━┳━━━━━━━━┳━━┓ 明 生 寛 鎮 澄 清 安 ┣━━┳━━┳━━┓ ┣━━┓ ┣━━┓ ┣━━┳━━┳━━┓ ┃ 舒 建 頴 遠 加 見 矜 宥 治 蔭 堪 潤 來 ┣━━┳━━┳━━┓ ┃ ┣━━┓ 善 元 實 嚴 浮 揚 認 ┣━━━━━━━━┳━━┓ ┃ 義 超 勧 施 ┣━━┳━━┓ ┃ ┃ 類 廣 泰 学 廣 ┃ 齋 ┣━━┓ 嘉 正 ┃ ┃ 諧 親長
〈源氏(嵯峨源氏)〉[vol.5 源融] 嵯峨天皇 ┃ 融 ┣━━┳━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┳━━┓ 湛 泊 昇 望 副 ┣━━┳━━┳━━┓ ┣━━━━━━━━━┳━━┳━━━┳━━━┓ ┃ ┣━━┓ 寄 准 若 添 適 仕 後 是茂 衆望 尚 添 運 ┏━━┫ ┣━━┳━━━┓ ┃ ┃ ┃ ┃ 散 寛筭 済 憩 安法 宛 師世 元 増 ┃ ┃ ┃ 官 綱 貞清 ┃ ┃ 趁 久 ┣━━┳━━┳━━┓ 正 安 貞 精 ┃ ┃ 糺 傅
〈源氏(嵯峨源氏)〉[vol.6 源勤~源継] 嵯峨天皇 ┣━━━━━━━━━━━━━━┳━━┳━━┳━━━━━┓ 勤 勝 賢 啓 継 ┣━━┳━━┳━━━━━┓ ┃ ┣━━┓ ┃ 温 激 浣 凝 良 記 尋 生 ┃ ┣━━┓ ┃ ┃ ┣━━┓ 襲 高 名 伊 穏 講 救 ┃ ┃ ┃ ┣━━┓ 海 紀 摩 合 隣 ┃ ┃ 涼 令
〈源氏(嵯峨源氏)〉[vol.7 有智子内親王~源善姫](女子は史料が少ないので、わずかに記しておく。) 嵯峨天皇 ┣━━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┳━━━┓ 有智子内親王 潔姫 正子内親王 貞姫 善姫
仁明源氏
〈源氏(仁明源氏)〉[vol.1 道康親王~本康親王] 仁明天皇(正良親王) ┣━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┓ 道康親王 宗康親王 時康親王 人康親王 本康親王 ┏━━━┳━━━┫ ┃ 興基 興範 興扶 兼似
〈源氏(仁明源氏)〉[vol.2 源多~源登] 仁明天皇 ┣━━┳━━┳━━┳━━┳━━┓ 多 冷 光 覚 効 登 ┃ 賢
文徳源氏
〈源氏(文徳源氏)〉[vol.1 惟喬親王~惟恒親王] 文徳天皇(道康親王) ┣━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┓ 惟喬親王 惟脩親王 惟仁親王 惟彦親王 惟恒親王 ┃ ┃ 兼覧王 景式王
〈源氏(文徳源氏)〉[vol.2 源毎有~源富有] 文徳天皇(道康親王) ┣━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓ 毎有 能有 時有 本有 定有 行有 載有 富有 ┏━━━╋━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓ 当元 当時 当鑑 当方 当年 当純 当季
清和源氏
〈源氏(清和源氏)〉[vol.1 貞明親王~貞保親王] 清和天皇(惟仁親王) ┣━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┓ 貞明親王 貞固親王 貞元親王 貞平親王 貞保親王 ┃ ┣━━━┓ ┏━━━┫ 国淵 兼忠 兼信 国忠 国珍 ∥ ┃ 重之 重之
〈源氏(清和源氏)河内源氏〉[vol.2 貞純親王] 清和天皇(惟仁親王) ┃ 貞純親王 ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ 経基王(源経基) 経生 ┣━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓ ┃ 満仲 満政 満季 満実 満快 満生 公節 ┣━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓ ┃ 頼光 頼親 頼信 頼平 頼明 頼貞 頼範 孝道 忠季 ┏━━━┳━━━╋━━━┳━━━┓ 頼義 頼清 頼季 頼任 義政 ┣━━━┳━━━┳━━━┓ 義家 義綱 義光 快誉 ┣━━━┳━━━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━┓ 義宗 義親 義国 義忠 義時 ∥ ┣━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓ ┝━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓ 忠宗 義信 義俊 義泰 義行 為義 宗清 為義 経国 義高 忠宗 義清 義雄 ┏━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━╋━━━┳━━━┓ 義朝 義賢 義広 頼賢 頼仲 為宗 為成 為朝 為仲 行家 ┣━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓ 義平 朝長 頼朝 義門 希義 範頼 全成 義円 義経 ┏━━━┳━━━┫ ┃ ┃ ┃ ┃ 頼家 実朝 貞暁 希望 範円 時元 義成 ┣━━━┳━━━┳━━━┓ 一幡 公暁 栄実 禅暁
〈源氏(清和源氏)〉[vol.3 貞辰親王~源長頼] 清和天皇(惟仁親王) ┣━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┳━━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓ 貞辰親王 貞数親王 貞真親王 貞頼親王 長淵 長猷 長鑑 長頼 ┃ ┏━━┻┳━━━┳━━━┓ 為善 蕃基 蕃平 蕃固 元亮
〈清和源氏満政流〉 満政 ┣━━━┳━━━┓ 忠重 忠隆 忠国 ┃ 定宗 ┃ 重宗 ┃ 重実 ┣━━━┳━━━┓ 重遠 重成 重貞
〈源氏(清和源氏)摂津源氏〉[清和源氏の正嫡の流れ] 頼光 ┃ 頼国 ┣━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━┓ 頼弘 頼資 頼実 実国 頼綱 国房 六条斎院宣旨 ┏━━━━━━━┳━━━━━━━┻━━━━━━━┓ ┃ 明国 仲政 国直 光国 ┃ ┣━━━┳━━━┳━━━┓ ┣━━━┓ ┣━━━┓ 行国 頼政 頼行 光重 泰政 国政 国基 光信 光保 ┣━━━┓ ┣━━━┳━━━┰───┐ ┃ 頼盛 頼憲 仲綱 頼兼 広綱 兼綱 光基 ┣━━━┓ ┣━━━┰───┐ ┃ 行綱 高頼 宗綱 有綱 広綱 光衡
〈清和源氏頼親流・大和源氏〉 頼親 ┣━━━┳━━━━━━━┳━━━┓ 頼成 頼房 頼遠 頼基 ┃ ┃ 頼俊 有光 ┏━━━╋━━━┓ ┣━━━┓ 頼風 頼治 頼景 基光 光家 ┃ 親弘 ┃ 親治
〈清和源氏・河内源氏義綱流〉 義綱 ┣━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓ 義弘 義俊 義明 義仲 義範 義公
〈清和源氏・河内源氏義光流〉 義光 ┣━━━┳━━━┓ 義業 実光 義清
陽成源氏
〈源氏(陽成源氏)〉[vol.1 元良親王] 陽成天皇(貞明親王) ┃ 元良親王 ┣━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓ 佐材王 佐時王 佐頼王 佐兼王 佐藝 佐平 佐親
〈源氏(陽成源氏)〉[vol.2 元平親王~源清鑑] 陽成天皇(貞明親王) ┣━━━━━┳━━━━━┳━━━━┳━━━┳━━━┓ 元平親王 元長親王 元利親王 清遠 清蔭 清鑑 ┃ ┃ ┃ 兼名 兼明 忠時
光孝源氏
〈源氏(光孝源氏)〉[vol.1 是忠親王] 光孝天皇(時康親王) ┃ 是忠親王 ┣━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓ 式順王 式瞻王 興我王 忠望王 今扶王 英我王 清平 正明 和 宗于 ┃ ┃ 室明 康行 ┃ 康尚 ┃ 定朝 ┃ 覚助 ┃ 頼助 ┃ 康助 ┏━━━┫ 康朝 康慶 ┃ ┃ 成朝 運慶 ┏━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┫ 湛慶 康運 康弁 康勝 運賀 運助
〈源氏(光孝源氏)〉[vol.2 是貞親王~源音恒] 光孝天皇(時康親王) ┣━━━━━┳━━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓ 是貞親王 定省親王 元長 近善 兼善 名実 旧鑑 篤行 最善 音恒 ┃ ┏━━━┫ 直幹 師尚 宗海 ┏━━━┳━━━┫ 清邦 清延 清敏
〈源氏(光孝源氏)〉[vol.3 源是恒~源友貞] 光孝天皇(時康親王) ┣━━━┳━━━┳━━━┯━━━┳━━━┳━━━┓ 是恒 貞恒 成蔭 是茂 国紀 香泉 友貞 │ ┃ ┏━━━┫ ┃ 衆望 仲宣 師世 師之 公忠 ┏━━━┫ 信明 信孝 ┃ ┃ 方国 兼澄 ┃ 道済
宇多源氏
〈源氏(宇多源氏)〉[vol.1 敦仁親王~載明親王] 宇多天皇(定省親王) ┣━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┓ 敦仁親王 斉中親王 斉世親王 敦慶親王 敦固親王 斉邦親王 載明親王 ┏━━━┫ ┏━┻━┓ ┣━━━┓ 英明 庶明 後古 方古 宗室 宗城
〈源氏(宇多源氏)〉[vol.2 敦実親王~行明親王] 宇多天皇(定省親王) ┣━━━━━┳━━━━━┓ 敦実親王 行中親王 行明親王 ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓ 雅信 重信 寛信 寛朝 雅慶 ┣━━━━━━━┳━━━┳━━━┓ ┣━━━┓ 時中 扶義 時方 済信 致方 道方 ┣━━━┓ ┣━━━┓ ┃ 済政 朝任 経頼 成頼 経信 ┃ ┃ 資通 俊頼 ┃ ┃ 政長 俊恵 ┃ 有賢 ┃ 資賢 ┣━━━┓ 通家 時賢 ┃ ┣━━━┓ 雅賢 有資 資信 ┃ ┣━━━┓ 有雅 経資 信有
醍醐源氏
〈源氏(醍醐源氏)〉[vol.1 克明親王~重明親王] 醍醐天皇(敦仁親王) ┣━━━━━┳━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━┓ 克明親王 保明親王 代明親王 重明親王 ┃ ┣━━━━━┓ ┣━━━┳━━━┓ ┣━━━┳━━━┳━━━━━┓ 博雅 慶頼王 煕子女王 重光 保光 延光 邦正 行正 信正 徽子女王
〈源氏(醍醐源氏)〉[vol.2 常明親王~持明親王] 醍醐天皇(敦仁親王) ┣━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┓ 常明親王 式明親王 有明親王 持明親王 ┣━━━┓ 忠清 泰清
〈源氏(醍醐源氏)〉[vol.3 長明親王~兼明親王] 醍醐天皇(敦仁親王) ┣━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┓ 長明親王 雅明親王 寛明親王 行明親王 章明親王 成明親王 盛明親王 兼明親王 ┏━━━━━┫ ┃ 斯忠王 教忠 伊陟
〈源氏(醍醐源氏)〉[vol.4 源高明~源為明] 醍醐天皇(敦仁親王) ┣━━━┳━━━┳━━━┓ 高明 自明 允明 為明 ┣━━━┳━━━┳━━━┓ 忠賢 惟賢 俊賢 経房 ┣━━━┓ ┣━━━━━━━┳━━━━━┓ 守隆 致公 顕基 隆国 成尋阿闍梨母 ┃ ┃ ┣━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓ 長季 資綱 隆俊 隆綱 俊明 国俊 覚猷 ┃ ┣━━━┓ ┃ ┠───┐ 盛長 家賢 道良 俊実 能俊 国明 ┃ ┃ 盛経 俊雅
〈源氏(醍醐源氏)〉[vol.5 勤子内親王~康子内親王](女子は史料が少ないためこれまでとする) 醍醐天皇(敦仁親王) ┣━━━━━━━┳━━━━━━━┓ 勤子内親王 雅子内親王 康子内親王
村上源氏
〈源氏(村上源氏)〉[vol.1 広平親王~昌平親王] 村上天皇(成明親王) ┣━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┓ 広平親王 憲平親王 致平親王 為平親王 ┏━━━━━┫ ┏━━━┳━━━╋━━━┓ 師貞親王 居貞親王 憲定 頼定 為定 顕定
〈源氏(村上源氏)〉[vol.2 守平親王~昌平親王] 村上天皇(成明親王) ┣━━━━━┓ 守平親王 昌平親王 ┃ 懐仁親王 ┣━━━━━┳━━━━━━━━━━━┳━━━━━┓ 敦康親王 敦成親王 敦良親王 脩子内親王 ┃ ┣━━━━━┓ ┣━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┓ 嫄子女王 章子内親王 馨子内親王 親仁親王 尊仁親王 良子内親王 娟子内親王
〈源氏(村上源氏)〉[vol.3 具平親王~永平親王] 村上天皇(成明親王) ┣━━━━━┓ 具平親王 永平親王 ┣━━━┓ 師房 隆姫 ┣━━━┳━━━━━━━━━━━┓ 俊房 顕房 師忠 ┣━━━┳━━━┳━━━┓ ┣━━━┓ 師頼 師時 勝覚 仁寛 師隆 寛遍 ┃ ┃ ┃ 師光 師仲 俊隆 ┃ ┃ ┃ 具親 雅仲 皇嘉門院別当
〈村上源氏顕房流〉 顕房 ┣━━━━━━━━━━━━━┳━━━━┳━━━━━┳━━━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓ 雅実 顕仲 雅俊 国信 信雅 雅兼 定海 賢子 ┣━━━━━━━┓ ┃ ┣━━━┳━━━┓ ┃ ┣━━━┓ 顕通 雅定 待賢門院堀河 憲俊 元海 寛雅 成雅 雅綱 定房 ┣━━━┓ ├───┐ ┃ ┃ ┃ 雅通 明雲 雅通 定房 公胤 俊寛 宗雅 ┃ ┃ 通親 顕兼 ┏━━━┳━━━╋━━━┳━━━┳━━━┓ 通宗 通具 通光 定通 通方 道元
花山源氏
〈源氏(花山源氏)〉 花山天皇(師貞親王) ┣━━━━━┳━━━━┳━━━┓ 清仁親王 昭登親王 深観 覚源 ┃ 康資王 ┃ 顕康 ┃ 康廣王 ┣━━━━━┳━━━━━┓ 顕綱王 仲資王 顕経王 ┃ ┣━━━━━┳━━━━━┓ 顕職王 資家王 業資王 業清王 ┃ 資光王 ┃ 資邦王 ┃ 業顕王 ┃ 資清王 ┃ 資英王 ┃ 顕邦王
三条源氏
〈源氏(三条源氏)〉 三条天皇(居貞親王) ┣━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┓ 敦明親王 敦儀親王 敦平親王 師明親王 ┣━━━━━┳━━━━━┓ 敦貞親王 基平 敦賢親王 ┃ ┣━━━┳━━━┓ 寛意 行宗 行尊 基子
後三条源氏
〈源氏(後三条源氏)〉(有仁王が白河上皇の養子となりその後臣籍降下し、発生。) 後三条天皇(尊仁親王) ┣━━━━━┳━━━━━┓ 貞仁親王 実仁親王 輔仁親王 ┃ 有仁
〈源氏(後三条源氏)〉[vol.2 貞仁親王] 貞仁親王 ┣━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┯━━━┓ 敦文親王 覚行法親王 善仁親王 覚法法親王 聖恵法親王 有仁 行慶 ┏━━━━━┳━━━━━┫ 宗仁親王 最雲法親王 寛暁
順徳源氏
〈源氏(順徳源氏)〉 順徳天皇(守成親王) ┣━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┓ 九条廃帝 忠成王 彦成王 善統親王 尊覚法親王 覚恵法親王 ┏━━━━━┫ 彦豊王 彦仁 ┏━━━━━┫ 忠房 承鎮法親王 ┃ 彦良
後嵯峨源氏
〈源氏(後嵯峨源氏)〉 後嵯峨天皇(邦仁親王) ┣━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┓ 宗尊親王 久仁親王 恒尊親王 恒仁親王 雅尊親王 貞良親王 ┃ 惟康 ┃ 仁澄
後深草源氏
〈源氏(後深草源氏)〉 後深草天皇(久仁親王) ┣━━━━━┳━━━━━━┳━━━━━━┳━━━━━━┳━━━━━┓ 幸仁親王 熈仁親王 性仁法親王 深性法親王 行覚法親王 久明親王 ┏━━━━━┳━━━━━━┫ 守邦親王 久良親王 聖恵 ┏━━━┫ 宗明 宗久
堂上源氏
数多くの源氏の中でも、昇殿を許された源氏の家は、堂上源氏と呼ばれた。以下の18家。
- 村上源氏 - 10家 - 久我家、中院家、六条家、岩倉家、千種家、久世家、東久世家、梅渓家、愛宕家、植松家
- 宇多源氏 - 5家 - 庭田家、綾小路家、五辻家、大原家、慈光寺家
- 花山源氏 - 1家 - 白川家
- 正親町源氏 - 1家 - 広幡家
- 清和源氏 - 1家 - 竹内家
参考文献
- 『新訂増補国史大系・尊卑分脉 第1篇』吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編修会(編)ISBN 4642003622
- 『新訂増補国史大系・尊卑分脉 第2篇』吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編修会(編)ISBN 4642003630
- 『新訂増補国史大系・尊卑分脉 第3篇』吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編修会(編)ISBN 4642003649
- 『新訂増補国史大系・尊卑分脉 第4篇』吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編修会(編)ISBN 4642003657
- 『新訂増補国史大系・公卿補任 第1篇』吉川弘文館 黒板勝美(編)ISBN 4642003568
- 『新訂増補国史大系・公卿補任 第2篇』吉川弘文館 黒板勝美(編)ISBN 4642003576
- 『新訂増補国史大系・公卿補任 第3篇』吉川弘文館 黒板勝美(編)ISBN 4642003584
- 『新訂増補国史大系・公卿補任 第4篇』吉川弘文館 黒板勝美(編)ISBN 4642003592
- 『新訂増補国史大系・公卿補任 第5篇』吉川弘文館 黒板勝美(編)ISBN 4642003606
- 『国史大事典 第13巻』吉川弘文館 国史大辞典編集委員会(編)ISBN 4642005137