源平交代思想
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源平交代思想(げんぺいこうたいしそう)または源平交代説は、日本史上の武家政権は平氏(桓武平氏)と源氏(清和源氏)が革命(易姓革命)的に交代するという俗説のこと。室町時代ごろから一部で信じられていたと言われている。
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[編集] 概要
その説を実際の政権の推移に当てはめてみると以下のようになる。
織田信長の時代にはすでにこの思想が一部で信じられていたため、信長が平氏を称するようになったこと、徳川家康が源氏姓を称するようになったこともこの思想に関連しているといわれるが、真偽のほどは不明である。
[編集] 異説
[編集] 明智光秀将軍就任説
明智光秀は将軍になっているという説もあり(ただし将軍宣下の公式な記録は存在しない)、豊臣秀吉も平氏を称した時期がある。これを入れると、以下のようになる。
[編集] 関東における源平交代思想 [要出典]
源平交代思想は、豊臣氏という別姓が紛れた中央政権ではなく、関東において特に強く信じられ、実行されていたという説。この場合、家康が封ぜられる前に関東における実権をもっていた勢力は以下の通りである。
- 源氏(鎌倉幕府、源頼朝の一族)
- 平氏(鎌倉幕府、執権北条氏得宗家)
- 源氏(室町幕府、足利氏)
- 平氏(後北条氏)
後北条氏滅亡後、関東への移封を命ぜられた家康はこの思想の元、源氏に改姓した上で関東に入り、その支配の正当性を示したという可能性もある。
[編集] 参考文献
- 兵藤裕己『太平記〈よみ〉の可能性 歴史という物語』(講談社学術文庫、2005年) ISBN 4061597264
- 岡野友彦『源氏と日本国王』(講談社現代新書、2003年) ISBN 4061496905
[編集] 関連項目
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