源義賢
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源義賢(みなもとのよしかた、生年不詳 - 久寿2年8月16日(1155年9月14日))は、平安時代末期の河内源氏の武将。源為義の次男。源仲家、源義仲の父。
近衛天皇が東宮であった頃、これに仕え帯刀の長となり、帯刀先生と呼ばれた。京都堀川の源氏館にいたが、父の為義と不仲になり関東に下っていた兄の義朝に対抗すべく東国へ下った。上野国大胡を領し、武蔵国秩父の次郎大夫重隆(畠山重忠の大叔父)の女をめとる。やがて、武蔵国比企郡大蔵(現在の埼玉県比企郡嵐山町)に館をいとなみ、近隣国にまで勢力をのばす。