滝山寺
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滝山寺 | |
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![]() 本堂(重要文化財) |
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所在地 | 愛知県岡崎市滝町山籠107 |
位置 | 北緯34度59分17.37秒 東経137度12分20.26秒 |
山号 | 吉祥陀羅尼山 |
宗派 | 天台宗 |
本尊 | 聖観音(重要文化財) |
創建年 | 伝・天武天皇時代(673年~686年) |
開基 | 伝・役小角 |
正式名 | |
別称 | |
札所等 | |
文化財 | 本堂、三門、木造観音菩薩立像及梵天・帝釈天立像(重要文化財) |
滝山寺(たきさんじ)は、愛知県岡崎市滝町にある天台宗の寺院。鬼祭りで有名。
滝山東照宮が隣接している。
目次 |
[編集] 起源と歴史
『滝山寺縁起』(現存するものは近世の写本)によれば、 奈良時代、 天武天皇の命で役行者(えんのぎょうじゃ)が薬師如来像を祀る吉祥寺として創建したとされ、 保安年間(1120年 - 1123年) 天台宗の仏泉上人永救が再興したという。「役行者」として知られる役小角(えんのおづぬ)は奈良時代の伝説的な山岳修行者である。役行者草創の伝承をもつ寺院は日本各地にあり、その多くは山岳信仰、水源信仰に関わる山寺である。本寺もそうした山岳信仰の場であったものが、12世紀の僧永救によって寺院としての形態を整えたものと思われる。
平安時代末期から鎌倉時代初期の住職であった寛伝(1142年-1205年)が源頼朝の従兄弟であったため、鎌倉幕府の庇護を受けた。寺に伝わる観音菩薩及び両脇侍像は、頼朝の三回忌にあたる正治3年(1201年)、寛伝が頼朝追善のため仏師運慶・湛慶父子に作らせたものといい、様式的にも運慶一派の作と考えられている。
南北朝時代には 足利尊氏の庇護を受け、近世初期には 徳川家康の庇護を受けた。
正保元年(1644年)には徳川幕府3代将軍徳川家光が境内に滝山東照宮を創建した。(明治6年 神仏分離により、滝山東照宮は独立し、別法人となっている)
[編集] 文化財
[編集] 建造物
重要文化財
[編集] 美術工芸品
重要文化財
- 木造観音菩薩立像及び梵天・帝釈天立像 - 寺の縁起によれば、鎌倉時代の僧・寛伝が、母方の従弟にあたる源頼朝の追善のため、仏師運慶・湛慶父子に作らせ、頼朝の三回忌にあたる正治3年(1201年)に完成、像内に頼朝の鬢(びん)の毛と歯を納入したという。X線撮影の結果、観音像の像内、口の辺に人間の歯らしきものが固定されているのが確認されている。この三尊像は、作風等から運慶一派の作と認められている。
[編集] 行事
[編集] 所在地
愛知県岡崎市滝町山籠107