片山久安
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片山 久安(かたやま ひさやす、天正2年(1574年) - 慶安3年(1650年))は、安土桃山時代から江戸時代初期の剣豪。片山伯耆流の開祖。一般には片山伯耆守として知られる。林崎甚助と並んで居合の達人とされる。
林崎甚助の弟子とする説もあるが、片山伯耆流の伝承によると、伯父の松庵より秘剣を伝授され、京都の愛宕神社で「貫」の一字の啓示を受け、流派を開いたと伝えられる(片山伯耆流の伝承では林崎甚助の名は出てこない)。また、竹内流開祖の竹内久盛と親族であったとも伝えられ、竹内久盛から片山久安に組討(柔術)を、逆に片山久安から竹内久盛に居合を互いに教えあったと伝えられている。
その後、豊臣秀次に招かれ武術を教え、慶長15年(1610年)、後陽成天皇の御前で「磯波」を演武して従五位下・伯耆守に叙されたと伝えられるが、これを裏付ける史料は無い。
元和年間に安芸に移り、広島の領主・浅野氏の家臣が多く入門したが、その後、周防の岩国に移り、岩国の領主・吉川広正の客分となり、同地で没した。
息子のうち、片山久勝は片山心働流を開き、片山久隆が片山伯耆流を継承した。久隆は吉川氏に仕え、片山家は岩国藩の剣術師家の一つとして廃藩まで仕えた。
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