片山義継
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片山 義継(かたやま よしつぐ、1959年2月22日 - )は、京都府出身のサッカー審判員(元国際主審)。教諭。
岡田正義、砂川恵一らとともにJリーグ初期から主審を務めた。Jリーグ主審デビュー戦は1994年9月3日、神戸ユニバー記念競技場で行われた清水エスパルス vs ジュビロ磐田戦。2003年11月16日、味の素スタジアムで行われた 東京ヴェルディ1969 vs ジュビロ磐田 戦でJ1リーグ戦主審担当通算100試合達成した。その後も着実にキャリアを重ね。2007シーズンもJリーグの主審としてホイッスルを吹く。
[編集] 判定への評価
片山はJ初期より、レフェリング方式の違いからよく岡田正義と比較される。岡田が厳しくファウルを取り、頻繁に笛を吹くのに対し、片山は危険なプレーでない限り笛を吹く機会が少ない。そのため、片山は試合の流れを切らない主審として選手やサポーターからもおおむね好評である。 しかし、片山が起こしてしまった大きな誤審がある。2005年10月1日、柏レイソルvsヴィッセル神戸戦においてのシーンである。 柏が1点リードして迎えた後半終了間際、交代を告げられ、ピッチを歩いて去ろうとした 小林亮に対して、片山は遅延行為と判断しイエローカードを提示した。小林に対する警告はこの日2枚目であったが、片山はこれに気付かず、交代を認めてしまった。この場合、小林はまだピッチ上の選手であるため、交代は認められないはずであった。小林がピッチから去った直後、第4の審判員である北村央春の指摘で小林が退場になるということに気付き、ベンチに戻った小林にレッドカードが提示されたが、交代は認められ、柏11人対神戸11人で試合は続行された。このことについては、当日のマッチコミッショナー、片山本人もミスジャッジであることを認めている。 また、2006年7月29日のガンバ大阪vsアビスパ福岡戦では、ペナルティエリア付近で播戸竜二が倒されたファウルをFKと判定したことについて、ガンバの選手、監督から「PKではないか」と詰め寄られる場面があった。実際にファウルが起こったのはペナルティエリアの外であったので、この判定は「誤審」ではなかったものの、このプレーをセンターサークル付近から判定したことについて、「主審としては体力不足ではないか」という批判を受けた。実際、そのほかの試合においても片山が選手の動きについていけない場面も見受けられている。
[編集] 関連項目
Jリーグ担当審判 - 2007 |
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