アビスパ福岡
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アビスパ福岡 | |
原語表記 | アビスパ福岡 |
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愛称 | アビスパ |
クラブカラー | ネイビーブルー、シルバー、ブルーベールダンス |
創設年 | 1982年 |
所属リーグ | Jリーグ |
所属ディビジョン | ディビジョン2 |
ホームタウン | 福岡市 |
ホームスタジアム | 博多の森球技場 |
収容人数 | 22,563 |
代表者 | 都筑興 |
監督 | ピエール・リトバルスキー |
アビスパ福岡(アビスパふくおか、Avispa Fukuoka)は、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
目次 |
[編集] クラブの概要
1996年Jリーグ加盟。ホームタウンは福岡県福岡市。ホームスタジアムは東平尾公園博多の森球技場(福岡市博多区)。練習場は福岡市東区の雁ノ巣レクリエーションセンター球技場である。年に1回程度、東平尾公園博多の森陸上競技場や北九州市本城公園陸上競技場(北九州市八幡西区)で試合を開催することもある。
1995年に静岡県藤枝市の藤枝ブルックスが福岡市に移転してきたもので、移転後の運営会社は福岡ブルックス株式会社だったが、2006年4月26日の株主総会でクラブ名と同じアビスパ福岡株式会社に名称変更された。また本社も2006年5月に福岡市東区香椎浜の福岡フットボールセンターに移転した。
チーム名のアビスパは、スペイン語でスズメバチの意味。ハチの持つ集団的行動や俊敏性が「軽快で統制のとれた多様なグループ攻撃」という、チームの目指すスタイルを象徴する。
ジャパンフットボールリーグ(JFL)所属時代の1995年には、ユニバーシアード福岡大会との絡み等もあり、旧本拠地の静岡県でも数試合開催された。1996年にJリーグ昇格以後、最初3年間はかつて横浜フリューゲルスの準本拠地として使用された熊本市水前寺競技場も準本拠地として年1試合使用した。
近年はホームページなどで福岡ソフトバンクホークスとの交流を活発的に行っているものの、直接的な観客増までいっていない。2006年には11月23日のVSガンバ大阪戦にてホークス選手会長の斉藤和巳がアビスパのユニフォームを着て当時の川勝良一監督を訪れるなどしているものの、一部の在福民放がアビスパの試合よりも斉藤が博多の森に来たことを中心にしてしまうなど、メディアのホークス偏重が強いことが大きいことが一つの原因であると考えられている。
[編集] 歴史
[編集] 前身
前身の中央防犯サッカー部は、サッカー王国である静岡県藤枝市で結成され、1991年に日本サッカーリーグ2部に昇格した実業団チームだった。1992年にJFL2部に参加、1993年には1部に昇格。これを機に「中央防犯FC藤枝ブルックス」と改名してJリーグ昇格をめざしたが、ホームスタジアムである藤枝市民グラウンド球技場のJリーグ基準への改修が困難であることや、藤枝市総合運動公園サッカー場の完成が2002年になるためなどといった理由から、Jリーグクラブ誘致に動いていた福岡市の意向を受け、1995年に福岡市にチームを移転、チーム名を「福岡ブルックス」とし、Jリーグ準会員となった。
[編集] 1995年(JFL)
福岡市に移転しての初めてのシーズンになった1995年シーズンでは、ディエゴ・マラドーナの実弟ウーゴを補強しJFLで優勝、Jリーグ昇格を果たした。翌1996年、Jリーグ昇格に合わせチーム名を現在の「アビスパ福岡」に改めた。これはブルックスが紳士服メーカー「ブルックス・ブラザーズ社」の商標で商標権侵害の恐れがあるためによるもの。ただしこのときは運営会社名は福岡ブルックスのまま据え置かれた。
ちなみに前身チームである中央防犯サッカー部は現在でも東海社会人リーグ1部で活動しており、下部組織では今でも「ACMブルックス」という名称を使用している。
[編集] 1996年~1998年(Jリーグ)
戦いの場をJリーグに移した1996年には、元日本代表のサイドバック都並敏史(現セレッソ大阪監督)、サンフレッチェ広島からは森秀昭(最終所属:コンサドーレ札幌)などベテラン選手を補強したが、なかなか踏ん張ることが出来ず、15位となってしまった。その後、17位、18位と2年連続シーズン最下位ながら、1998年末のJ1参入決定戦でJ1参入を決めた。特に1998年11月19日の川崎フロンターレ戦は劇的な結末で、通称「神を見た夜」と呼ばれている(逆に川崎側からはこの試合は「博多の森の悲劇」と呼ばれる。詳細については博多の森の悲劇を参照)。
しかしこの逆境のなか、FW山下芳輝(現栃木SC)、MF石丸清隆(最終所属:愛媛FC)や藤本主税(現大宮アルディージャ)などが活躍し日本代表に選ばれただけに(ただしアビスパ所属時にA代表に選ばれたのは山下だけであり、山下は2007年4月現在もアビスパ所属時にA代表に選出された唯一の選手である)、崖っぷちのチームに一つの光が見えてきた。
[編集] 1999年~2001年(J1)
1999年シーズンは、ベルマーレ平塚のGK小島伸幸(最終所属:ザスパ草津)や、鹿島アントラーズのDF水筑優文、サンフレッチェ広島のDF小島光顕、横浜F・マリノスのMF野田知(現ヴィッセル神戸サテライト監督)、ジェフユナイテッド市原のMFマスロバル、ヴェルディ川崎のMF三浦泰年(現静岡FC総監督)など経験豊富な選手を補強しながらも成績が振るわず、一時はJ2降格順位圏内である15位に沈んでいたが、最後の最後で底力を発揮し、14位に留まった。
2000年シーズンは、横浜マリノスで優勝に貢献したMFビスコンティや、柏レイソルで活躍したバデアを補強した結果、最後まで優勝争いに絡み結果として第2ステージで6位とクラブ史上最高の成績を収めた。
2001年シーズンは元韓国代表でサンフレッチェ広島やセレッソ大阪でも活躍したMF盧廷潤、アトランタ五輪代表のFW松原良香を補強した。しかし所属選手が児童買春等禁止法違反で逮捕される衝撃の中、年間成績15位となりJ2へ降格。
ちなみにこの時期は毎年J2降格の危機を迎えながらも回避することが多かったため、「落ちない」に通じるということでアビスパグッズをゲン担ぎに買い求める受験生も多く、クラブもグッズを福岡市近郊にある太宰府市の太宰府天満宮でお祓いを済ませてから販売していた。
[編集] 2002年~2005年(J2)
2002年は中払大介・山下芳輝を放出し、呂比須ワグナー・内藤就行・盧廷潤などベテラン選手を残し、横浜F・マリノスから元ユース代表のMF古賀誠史、ジュビロ磐田から元日本代表GKの大神友明などを補強しJ2初年度を迎えたが、成績が振るわず8位と低迷。
2003年には松田浩が監督に就任、将来を見据えて若手中心のサッカーに踏み切った。リーグ序盤戦は苦しい試合展開になってしまったが、終盤戦には攻守が噛み合い、4位と好成績を収めた。
2004年シーズンからは前年に行ったサポーターへのアンケートを受けてユニフォームの色を変更した(1stがシルバー、2ndがネイビーだったのを逆にした)。リーグ戦では3位となり、入れ替え戦に進むも柏レイソルに2敗(ホーム、アウェイ共に0-2で敗戦)し、昇格はならなかった。
2005年は個々の選手の実力が開花したことや、元ブラジルユース代表だったグラウシオが加入、ブラジルトライアングルを結成し大活躍。11月23日にホームで徳島ヴォルティス戦と引き分け、見事に5年ぶりのJ1復帰を決めた。 また6月のワールドユース・オランダ大会に中村北斗・柳楽智和が日本代表選手として出場し、世界の強豪相手に活躍した。
[編集] 2006年(J1)
5年ぶりのJ1の舞台に上がったアビスパは、有望若手選手の補強のみならず、薮田光教(前ヴィッセル神戸)、布部陽功、久藤清一(共に前セレッソ大阪)など、頼れるベテラン選手を補強。若手とベテランの融合で、J1での奮闘が期待された。だが当初から指摘された得点力不足が響き、リーグ戦序盤で1勝6敗5分の16位という下位に沈み,成績不振のため5月22日付けで松田監督を解任。後任にヴェルディ川崎とヴィッセル神戸での監督経験をもつ川勝良一を招聘した。 W杯ドイツ大会によるリーグ戦中断期間にヴィッセル神戸からバロンを完全移籍、また大宮アルディージャから佐伯直哉、東京ヴェルディ1969から飯尾一慶を期限付き移籍で獲得するなどテコ入れをした。 中断期間明けの序盤は結果が出ずに黒星を重ねたが、MF布部をかつての本職であったFWに再コンバート、チームの中心に起用することによって持ち直した。一時は残留は絶望的になっていたが最終節で16位に順位を上げて自動降格を免れ、J1・J2入れ替え戦に回ることになった。しかし総得点リーグワーストの32の得点力が最後まで頭を悩ませ、J2・3位のヴィッセル神戸(皮肉にも、指揮官は松田前アビスパ監督)に2戦合計1-1、アウェーゴールの差で敗れ、1年でJ2へ再降格してしまった。川勝監督はこの結果を受けて勝ち残っていた天皇杯を待たずに辞任、天皇杯は沖野等ヘッドコーチが代行監督を務めた。
[編集] 2007年(J2)
前シドニーFC監督のピエール・リトバルスキー氏が監督に就任。前年までのディフェンス面の中心選手であったGK水谷雄一、DF千代反田充が柏、新潟にそれぞれ移籍。さらに前年キャプテンを務めたMFホベルトがキャンプ中に突然の退団。それに伴い布部をDMFに再コンバート、得点力不足を補うためにアレックスを3トップの一角に据えるなどしている。また新たに、ブラジルからFWリンコン、さらにホベルト退団後にはかつてリトバルスキー監督の下でプレイしたDFチェッコリを獲得した。
[編集] 戦績
ここでは福岡移転後の成績のみ掲載する(1995年のみ福岡ブルックス、96年以降アビスパ福岡)
年度 | 所属 | 試合 | 勝点 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 順位 | 監督 | 総監督 |
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1995年 | 旧JFL | 30 | 72 | 24 | - | 6 | 優勝 | オルギン | 菊川凱夫 |
1996年 | J | 30 | 29 | 9 | 2(*1) | 19 | 15位 | 清水秀彦 | ― |
1997年 | J・1st | 16 | 9 | 3 | - | 13 | 17位 | カルロス・パチャメ | ― |
J・2nd | 16 | 10 | 3 | 1(*2) | 12 | 15位 | ― | ||
1998年 | J・1st | 17 | 7 | 2 | 1(*2) | 14 | 18位 | 森孝慈 | ― |
J・2nd | 17 | 14 | 4 | 1(*3) | 12 | 15位 | ― | ||
1999年 | J1・1st | 15 | 16 | 4 | 2(*3) | 9 | 11位 | 菊川凱夫 | ― |
J1・2nd | 15 | 12 | 3 | 2(*4) | 10 | 15位 | ― | ||
2000年 | J1・1st | 15 | 15 | 3 | 3(*3) | 9 | 14位 | ピッコリ | 菊川凱夫 |
J1・2nd | 15 | 22 | 6 | 3(*5) | 6 | 5位 | |||
2001年 | J1・1st | 15 | 14 | 4 | 1(*3) | 10 | 12位 | ||
J1・2nd | 15 | 13 | 3 | 3(*5) | 9 | 15位 | |||
2002年 | J2 | 44 | 42 | 10 | 12 | 22 | 8位 | 今井雅隆(1~21節) | |
望月達也(22~24節・代行) | |||||||||
中村重和(25~44節) | |||||||||
2003年 | 44 | 71 | 21 | 8 | 15 | 4位 | 松田浩 | ― | |
2004年 | 44 | 76 | 23 | 7 | 14 | 3位 | ― | ||
2005年 | 44 | 78 | 21 | 15 | 8 | 2位 | ― | ||
2006年 | J1 | 34 | 27 | 5 | 12 | 17 | 16位 | 松田浩(1~12節) | ― |
川勝良一(13~34節) | |||||||||
2007年 | J2 | 7 | 11 | 3 | 2 | 2 | 5位 | ピエール・リトバルスキー | ― |
2007年は途中経過
- 注:
- (*1)=PK負(勝点1)
- (*2)=PK勝(勝点1)
- (*3)=Vゴール勝(勝点2)
- (*4)=1Vゴール勝1引分(勝点計3)
- (*5)=1Vゴール勝2引分(勝点計4)
[編集] 獲得タイトル
- 1992年 JFL2部優勝
- 1995年 JFL優勝
[編集] チームカラー
- チームカラーはネイビー・シルバー
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[編集] ユニホームスポンサー
- 胸 ジョージア缶コーヒー(コカ・コーラウエストジャパン)
- 袖 九州電力
- 背番号 ポケットバンク(三洋信販)
- パンツ ゼンリン
[編集] 過去のユニホームスポンサー
- J:COM福岡(福岡ケーブルネットワーク、ケーブルビジョン21)、J:COM北九州、J:COM下関の4社共同によるスポンサー契約。
- ※ポケットバンクも以前は袖スポンサーだった時期があった
[編集] ユニホームサプライの遍歴
- 1995年(Jリーグ準会員) アドミラル
- 1996~97年 リーグ戦・ミズノ、カップ戦・アドミラル
- 1998年~ リーグ・カップ戦共にミズノに統一
[編集] エピソード
[編集] 京都サンガF.C.との縁
京都サンガF.C.(2006年シーズンまで京都パープルサンガ)とは4度同時に昇格、降格を経験している。
- 1992年 JFL2部 → 旧JFL1部
- 1995年 JFL → Jリーグ
- 2005年 J2 → J1
- 2006年 J1 → J2
[編集] 主力温存
- 2000年4月12日開催のナビスコ杯予選・湘南ベルマーレとの試合で、アビスパは主力を温存して、サテライト級の若手・中堅選手が中心となって出場し、「最強メンバーで試合を戦うこと」というリーグ規定に反するのではないかということで問題になった。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
アビスパ福岡 - 2007 |
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1 神山竜一 | 2 宮本亨 | 3 アレックス | 5 長野聡 | 6 布部陽功 | 7 宮崎光平 | 8 チェッコリ | 9 リンコン | 10 久藤清一 | 11 田中佑昌 | 12 サポーター | 13 柳楽智和 | 14 古賀誠史 | 15 城後寿 | 16 久永辰徳 | 17 川島眞也 | 18 山形恭平 | 19 林祐征 | 20 山形辰徳 | 21 ノグチピント・エリキソン | 22 中村北斗 | 23 大塚和征 | 24 釘崎康臣 | 25 内藤友康 | 26 本田真吾 | 27 多久島顕悟 | 28 安田忠臣 | 29 宇野沢祐次 | 30 六反勇治 | 31 ハファエル | 32 柴村直弥 | |
監督 リトバルスキー | クラブ | |
Jリーグ 2007 | |
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J1 | |
鹿島アントラーズ | 浦和レッドダイヤモンズ | 大宮アルディージャ | ジェフユナイテッド市原・千葉 | 柏レイソル | FC東京 | 川崎フロンターレ | 横浜F・マリノス | 横浜FC | ヴァンフォーレ甲府 | アルビレックス新潟 | 清水エスパルス | ジュビロ磐田 | 名古屋グランパスエイト | ガンバ大阪 | ヴィッセル神戸 | サンフレッチェ広島 | 大分トリニータ |
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J2 | |
コンサドーレ札幌 | ベガルタ仙台 | モンテディオ山形 | 水戸ホーリーホック | ザスパ草津 | 東京ヴェルディ1969 | 湘南ベルマーレ | 京都サンガF.C. | セレッソ大阪 | 徳島ヴォルティス | 愛媛FC | アビスパ福岡 | サガン鳥栖 |
|
過去に存在したクラブ | |
横浜フリューゲルス | |
ナビスコ杯 | オールスターサッカー | チャンピオンシップ | 入れ替え戦 | アウォーズ |