片岡我當 (5代目)
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五代目片岡我當(ごだいめ かたおか がとう、1935年1月7日~)は上方の歌舞伎役者。本名片岡秀公(かたおか ひできみ)。俳名は寿蘭、屋号は松島屋で、紋は丸に二引、五枚銀杏。
十三代目片岡仁左衛門の長男として東京に生まれる。1940年10月大阪歌舞伎座で片岡秀公の名で『堀川』のおつる役で初舞台。戦後は父、兄弟と共に関西に本拠地を写し、『七人の会』、つづく『仁左衛門歌舞伎』に参加。1971年大阪新歌舞伎座で『桜しぐれ』の三郎兵衛、『二月堂』の良弁で5代目片岡我當を襲名。その後、父、弟や三代目實川延若、三代目中村鴈治郎(現・四代目坂田籐十郎)らとともに関西歌舞伎の復興に活躍、大阪府民劇場賞を受賞する。また父のすすめで菊五郎劇団に加わり、江戸歌舞伎を学んだ。
立役や荒事、敵役、老役などをこなし、堂々とした体躯と張りのある口跡を持つ堅実な芸風である。『夏祭』の三婦、『輝虎配膳』の長尾輝虎、『封印切』の八右衛門、『時平の七笑』の時平公などが当り役。
弟には二代目片岡秀太郎、十五代目片岡仁左衛門がおり、我當は片岡三兄弟のまとめ役としても重要な役割を果たしている。長男に初代片岡進之介がいる。