片岡秀太郎 (2代目)
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二代目片岡秀太郎(にだいめ かたおか ひでたろう、昭和16年(1941年)9月13日 - )は、上方の歌舞伎役者。大阪府大阪市生まれ。本名片岡彦人(かたおか つぐひと)。俳名は萬○。屋号は松嶋屋。紋は丸に二引、五枚銀杏。
十三代目片岡仁左衛門の次男。1946年(昭和21年)10月京都南座で「吉田屋」の禿役で本名のまま初舞台。1956年(昭和31年)3月大阪歌舞伎座の「河内山」の浪路で二代目片岡秀太郎を襲名。
上方色の濃い柔らか味の有る女形として活躍中。女形では、『道明寺』の立田、『輝虎配膳』のお勝などの時代物、『心中天網島・河庄』の小春、『封印切』の梅川、『雁のたより』のお玉などの上方世話物のほか『仮名手本忠臣蔵』の力弥、『車引』の桜丸などの若衆役も得意とする。古風な女形を演じて秀逸との評価が高い。
女優高田美和と結婚するも子供に恵まれなかったことや秀太郎に起因したといわれる諸々の問題から不和となり破局、後年現在の夫人(一般人)と再婚。
兄が五代目片岡我當。弟が十五代目片岡仁左衛門。養子に六代目片岡愛之助がいる。関西歌舞伎塾の講師として関西歌舞伎の人材育成にも努めている。