牟宗三
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牟宗三(ぼうそうさん Mou Zongsan 1909年6月12日 — 1995年4月12日)は中国(山東省棲霞市)で生まれ台湾で没した思想家・哲学者。
熊十力の影響を受け、唐君毅とともに、新儒家(現代新儒家)の代表的哲学者として活躍し、中国語圏の思想界に巨大な影響力を与えた。
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[編集] 生涯
1909年(宣統元年)夏暦4月25日に山東省に生まれる。1932年、熊十力と出会い、以後師事する。翌年北京大学卒業。1934年、長男誕生、国家社会党に入党。翌年、後に『周易的自然哲學與道德涵義』と改題される処女作を出版。1937年、抗日戦争激化。馮友蘭ら知識人へ強烈な反発を感じる。翌年雲南へと至る。1941年、論理学の研究書を出版。1942-45年、華西大学(成都)で教鞭をとる。1946-47年、南京の中央大学、金陵大学、江南大学、さらに杭州の浙江大学で教鞭をとる。
1949年、台湾へと逃れる。『認識心之批判』脱稿。1950年、『道德的理想主義』初版出版。台湾師範学院(国立台湾師範大学)教授。1955年、『歴史哲學』出版。『理則學』(論理学の教科書)出版。翌年東海大学。1961年、『歴史哲学』出版。香港大学へ移転し、以後香港を活動の拠点とする。1963年、『中國哲學的特質』、『才性與玄理』出版。1968年、『心體與性體』出版。1969年以降、香港中文大学。1971年、『智的直覺與中國哲學』出版。
1975年『現象與物自身』出版。以後、香港の新亜研究所を中心とし、香港と台湾を往復する生活を送る。1977年、『佛性與般若』出版。
1995年4月12日台北にて死去。
[編集] 思想
思想的立場としては、あくまでも儒学を主とするが、老荘思想や仏教に関する著作もあり、中国の伝統思想全般にわたって再解釈を行った。また西洋哲学では、特にそのカント解釈、とりわけその三批判書の中国語訳で知られている。
特に三つの講義録が著名である。『中國哲學的特質』は、儒家の精神を西洋哲学の概念を使用して明らかにしており、後にフランス語にも訳された。『中國哲學十九講』は牟宗三の成熟した思想が展開されているとともに、中国思想全般を扱った通史になっており、中国思想の概略を知るうえでスタンダードな入門書ともなっている。また、『中西哲學之會通十四講』では、西洋哲学と中国哲学の融合が正面から取り組まれており、特にカント哲学と儒学とが統一的に説明される。
[編集] 著作
- 《周易的自然哲學與道德涵義》
- 《認識心之批判》
- 《理則學》
- 《道德的理想主義》
- 《歴史哲學》
- 《名家與荀子》
- 《生命的學問》
- 《五十自述》
- 《才性與玄理》
- 《心體與性體》
- 《智的直覺與中國哲學》
- 《現象與物自身》
- 《佛性與般若》
- 《時代與感受》
- 《從陸象山到劉蕺山》
- 《圓善論》
講演録
- 《中國哲學的特質》
- 《中國哲學十九講》
- 《中西哲學之會通十四講》
- 《四因説演講録》
訳著
- 《康德的道德哲學》:譯作(カント『人倫の形而上学の基礎付け』『実践理性批判』)
- 《康德「純粹理性之批判」》:譯作(カント『純粋理性批判』)
- 《康德「判斷力之批判」》:譯作(カント『判断力批判』)
- 《名理論》:譯作(ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』)
[編集] 日本語での参考文献
- 倪梁康「牟宗三と現象学」石井剛訳『現代思想』第29/第17、243-256(2001年)
- 朝倉友海「死生の学としての儒学の意義――牟宗三における「生命の学問」」
『死生学研究』(東京大学大学院人文社会系研究科)2006年秋号