香港
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- 中華人民共和国香港特別行政区
- 中華人民共和國香港特別行政區
Hong Kong Special Administrative Region of the People's Republic of China -
(域旗) (域章) -
公用語 中国語(広東語、普通話)、英語 政府所在地 行政長官 曽蔭権 面積
- 総計
- 水面積率世界第xx位
1,104km²
4.6人口
- 総計(2005年)
- 人口密度世界第99位
7,041,000人
6,294.65人/km²GDP(自国通貨表示)
- 合計(xx年)
xxx,xxx香港ドルGDP(MER)
- 合計(xx年)世界第xx位
xxx,xxxドルGDP(PPP)
- 合計(2005年)
- 1人当り世界第40位
254,200,000,000ドル
37,400ドルイギリスから中華人民共和国へ返還 1997年7月1日 通貨 香港ドル(HKD) 時間帯 UTC +8(DST: なし) ccTLD hk 国際電話番号 852
香港特別行政区(ホンコンとくべつぎょうせいく)、すなわち香港(ホンコン)は、中華人民共和国の特別行政区の1つである。
目次 |
[編集] 概要
1842年の南京条約などにより清からイギリスに割譲された土地と租借地で、以降はイギリスの植民地となったが、1997年7月1日午前0時(CST)に、イギリスから中華人民共和国へ返還され、特別行政区となった。名称は「香港」だが、香港島だけでなく、九龍半島、新界と周囲の200余の島を含めた地域を指す。
古くから東南アジアにおける交通の要所であり、また、フリーポートであることからイギリスの植民地時代から金融や流通の要所でもある。また、ショッピングやグルメの街として栄えているということもあり、世界中から観光客が訪れる。超高層ビルが立ち並ぶ近代的な街並みだけでなく、離島や丘陵地帯などの自然に触れられる場所などの様々な見どころが、領地が狭いために隣接しているのが特徴である。また、マカオや深圳などの近隣地域と組み合わせて観光するケースも多く見られる。
[編集] 名称
香港 | |
---|---|
簡体字: | 香港 |
繁体字: | 香港 |
ピン音: | Xiānggǎng |
ラテン字: | Hong Kong |
広東語: | Höng1gong2 |
発音: | ホンコン(英)ヒョンゴン(広) シアンガン(北) |
- 正式名称
- 1997年6月30日迄は「The Crown Colony of Hong Kong」
- 1997年7月1日からは「中華人民共和国香港特別行政区/Hong Kong Special Administrative Region of the People's Republic of China」
[編集] 歴史
- 詳細は香港の歴史を参照
- 1839年:第一次アヘン戦争が勃発。
- 1842年:南京条約で香港島を清朝からイギリスに永久割譲。
- 1858年:原住民差別禁止政策施行。
- 1860年:北京条約で九龍半島南部の市街地を割譲に追加。
- 1865年:香港上海銀行設立。
- 1872年:香港上海銀行が初めて通貨発券。
- 1898年:展拓香港界址專條で深圳河以南、界限街以北の九龍半島、200余の島(新界)を99年間の期限付きで租借。
- 1941年:太平洋戦争(大東亜戦争)勃発により日本軍が香港を占領。
- 1942年:日本軍の磯谷廉介中将が香港総督に就任。
- 1945年:日本の敗戦によりイギリスの植民地に復帰。
- 1950年:イギリスが、中国共産党により前年に北京を首都として建国された中華人民共和国を承認し、中華民国政府と国交を断絶する。
- 1967年:文化大革命の影響を受けた中国共産党系住民が暴動を起こす。
- 1983年:アメリカドルとのペッグ制(1US$≒7.8HK$)を開始。
- 1984年:イギリスのマーガレット・サッチャー首相と、中華人民共和国の鄧小平共産党中央委員との間で租借地と割譲地域の返還に合意。
- 1992年:最後の香港総督であるクリストファー・パッテン就任。
- 1997年:租借地と割譲地域をイギリスから中華人民共和国へ返還。
[編集] 地理
香港という名称は珠江デルタの東莞周辺から集められた香木の集積地となっていた湾および沿岸の村の名前に由来する。現在の香港島南部の深湾と黄竹坑にあたる。現在の香港の領域には香港島、九龍半島、新界および周辺の南シナ海に浮かぶ200余りの島が含まれる。
ランタオ島(大嶼山)は領域内で最大の島であり、香港島の約2倍の面積を持ち、香港国際空港の空港島が隣接している。2005年9月には島内にディズニーランドが開園した。香港の地形は全体に山がちであり、最高点は標高958メートルの大帽山である。中華人民共和国本土との境辺りを除き平地は少なく、主なものに元朗平原があり、付近の海岸には湿原がある。
[編集] 気候
温暖冬季少雨気候(サバナ気候~温暖湿潤気候移行部型)に属し、秋・冬は温暖で乾燥しており、春・夏は海からの季節風と熱帯低気圧の影響で高温湿潤という気候である。
秋はしばしば台風に襲われ、スターフェリーやマカオへ行く水中翼船などの海の便や航空便、2階建てトラムが運行停止になることもある。台風の警報がでると、各種イベントが中止となるだけでなく、学校や企業、官公庁も休みとなる。
冬は北風が中国大陸から吹くため、埃や環境対策が進んでいない工場からの排気や自動車の排気ガスなどで汚染された空気が入り込んで来ることが多く、そのために近年は霧や靄が発生することが多くなっている。
[編集] 人口
香港は全世界で最も人口密度が高い地方の一つで、1平方キロメートルの人口密度は6,272人である。香港の出生率は1000人あたり7.26人で、全世界225の国家と地区の中で現在最低である。
香港島と九龍半島への人口の集中が著しい。面積は両者を合わせて127.4平方キロメートルと香港全体の面積の12%足らずにすぎないが、この範囲の中に香港の総人口のおよそ半分にあたる約344万人が居住している。
香港の人口で最も多いのは「華人」と呼ばれる中国系で、全体の95%近くを占める。華人以外で多いのはメイドなどの出稼ぎ労働者として多くが働いているフィリピン人で、その次に多いのがアメリカ人、次いで元宗主国のイギリス人である。
[編集] 行政区分
香港には、18の行政上の下部地域(区(繁体字表記では「區」))がある。1982年に区議会が設置されたのが、区の由来である。その後、九龍地区から新界への人口移動に伴い、区の再編が行われている。1985年に、荃湾區から葵青區が分離した。1994年には、油尖區と旺角區が合併し、現在の油尖旺區となった。
- 香港島
- 中西區 (Central & Western District)
- 湾仔區 (Wanchai District)
- 東區 (Eastern District)
- 南區 (Southern District)
- 九龍
- 九龍城區 (Kowloon City District)
- 油尖旺區 (Yau Tsim Mong District) (油麻地・尖沙咀・旺角から成る区)
- 深水埗區 (Sham Shui Po District)
- 観塘區 (Kwun Tong District)
- 黄大仙區 (Wong Tai Sin District)
- 新界
- 北區 (North District)
- 西貢區 (Sai Kung District)
- 沙田區 (Sha Tin District)
- 大埔區 (Tai Po District)
- 元朗區 (Yuen Long District)
- 屯門區 (Tuen Mun District)
- 荃湾區 (Tsuen Wan District)
- 葵青區 (Kwai Tsing District)
- 離島區 (Islands District)
[編集] 政治
- 詳細は香港の政治を参照
[編集] 司法
中華人民共和国内とは異なり、『香港特別行政区基本法』に基づき、英米法(コモン・ロー)体系が施行されている。基本法の規定により、中華人民共和国内の法律は「別段の定め」がない限り香港では施行されない。したがって、死刑制度も存在しない。裁判も原則として、香港域内で完結する。そのため、返還後、最高裁判所に相当する終審法院が設置された。その下に、高等法院(高裁)、区域法院(地裁)、裁判法院(刑事裁判所)などがある。裁判は三審制である。ただし、基本法の「中央に関する規定」および「中央と香港の関係にかかわる規定」につき、条文の解釈が判決に影響を及ぼす場合、終審法院が判決を下す前に全人代常務委員会に該当条文の解釈を求めることとされる。(香港司法機構を参照。)
[編集] 対外関係
- 詳細は香港の対外関係を参照
香港特別行政区は、基本法の定めにより、経済社会分野の条約を締結したり、国際会議や国際機構に参加することができる。しかし、外交は中央政府の権限である。そのため、外交部駐香港特派員公署が設置され、香港の外交事務を管轄している。
ただし、香港政府も独自の在外駐在機関を設けている。国外の香港経済貿易弁事処は工商及科技局下の工業貿易署が形式上管轄する。中華人民共和国本土にある駐広東香港経済貿易弁事処と香港特別行政區政府駐北京辯事處は、政制事務局が管轄している。しかし、前者も実際には、工商及科技局の本来業務の枠を超えた活動をしている。そのため、政制事務局が実質的に香港の対外事務を扱っていると考えられる。
香港域内でも、香港政府に外交権限がないことの不利益が次第に認識されている。香港特別行政區政府駐北京辯事處も以前は政務長官の管轄であったが、2005年の行政長官施政方針において対中央(中華人民共和国本土)政策を政制事務局に集中することが打ち出され、現在のようになった。
[編集] 軍事
返還前はイギリス軍が昴船洲(ストーンカッタース)や赤柱(スタンレー)などの基地に正規兵のほかにグルカ兵などの傭兵を含む海軍、陸軍部隊(駐香港イギリス軍)を駐留させていた。同司令官は香港総督の下に位置した。
返還後にはイギリス軍に替わり人民解放軍駐香港部隊が駐留している。人民解放軍駐香港部隊の司令部は、返還前まではイギリス軍の司令部が置かれていたセントラルのプリンス・オブ・ウェールズ・ビル(現在は「中国人民解放軍駐香港部隊大厦」)にある。人民解放軍駐香港部隊司令官は、中央軍事委員会および国務院国防部の下にある。香港行政長官には部隊への指揮権がない。
基本法の規定により、イギリスやイギリスの同盟国であるオーストラリアやアメリカを含む外国艦艇の休暇上陸(レスト&レクリエーション)を含む寄港は返還後も中央政府の同意を経て可能とされている。
[編集] 経済
その成立背景から、規制が少なく低税率な自由経済を特徴とする。食料や日用品などの対外依存度が高い。もともとイギリスの対中国貿易の拠点であったことから中継貿易が盛んであった。第二次世界大戦後の1949年に中国共産党率いる中華人民共和国が成立すると、中国大陸本土からの移民が押し寄せた。そのため、安い労働力を活用した繊維産業やプラスティック加工を中心とする製造業へ産業構造を転換した。
1970年代になると労働コストの上昇や工業用地不足などの問題にも直面し始める。しかし、中華人民共和国の改革開放を受け、1980年代、従来の製造業は広東省の深圳市や東莞市を初めとする珠江デルタへと移転した。こうして香港は、中華人民共和国を後背地とする金融センター・物流基地へ転換した。
1997年の返還後も中華人民共和国本土への依存は深まり、2003年には経済貿易緊密化処置(CEPA)の本協定が中華人民共和国本土と香港の間で調印され、さらに広東省のイニシアティブによる汎珠江デルタ協力(9+2協力)にも参加している。
なお、イギリス時代から高度に整備された民法と税制上の優遇措置、高い教育程度と豊富な英語人口などから、オフィスや住宅の家賃がアジア地域のみならず世界でも最も高いとされるにもかかわらず、多くの欧米企業は中華人民共和国や日本を含む東アジア全域またはアジア全域を管轄する地域統括本部を香港に設けることが多い。
香港のGDPの80%をサービス産業が占める。また観光産業がGDPの約5%を占める他、古くから映画産業が盛んである。香港経済界の代表的人物は長江集団を率いる李嘉誠である。
[編集] 企業
- 香港の企業一覧も参照
電力や通信などのインフラストラクチャーから建設や運輸、金融や流通、サービス業やマスコミまで、様々な業種の大企業が揃っており、東南アジア圏内や中華人民共和国、日本へ進出している企業も多い。
主な財閥・企業グループには、華人の長江集団や会徳豊などがある。また、伝統的にはイギリス系のジャディーン・マセソンやスワイヤー、香港上海銀行が有力だが、前二者は1970年代以降、華人系財閥による買収などで勢力を縮小させている。さらに中国本土系の企業としては、華潤集団、招商局、中国銀行(香港)、中国旅行社やCITICがある。
[編集] 金融
[編集] 貨幣・金利
貨幣である香港ドルは、イギリス系の香港上海銀行とスタンダード・チャータード銀行(香港渣打銀行)、中国銀行 (香港)によって発行されている。ただし、10香港ドル紙幣の一部と硬貨は、香港金融管理局が発行している。また、イギリスの植民地時代に発行されたエリザベス2世女王の横顔入りのコインも引き続き使用している。
なお、返還後の2001年に金利が完全に自由化されたが、アメリカドルとのペッグ制のため金利は基本的にアメリカ合衆国の金利動向に追従する。
- 外貨準備高
- 1,121億USドル(2003年9月末、世界第5位)
[編集] 証券
主要な証券取引所として、1891年に開設された香港証券取引所(香港交易所/Hong Kong Stock Exchange)があり、東京証券取引所やシンガポール証券取引所と並び、アジアを代表する証券取引所となっている。市場の動きを表す指数として、代表36銘柄を対象として時価総額加重平均で算出した「ハンセン指数(恒生指數/Hang Seng Index)」がある。
- 株式市場
- 上場株式時価総額:6,190億USドル(2003年9月)
[編集] 運輸
- 海運
- コンテナ取扱量 1,914万TEU(20フィートコンテナ換算,2002年)
- 空運
- 取扱貨物 248万トン(2002年)
[編集] 対日経済関係
イギリスの植民地時代から自由貿易港として、進出して来る外資系企業を遇していることもあり、さまざまな業種の日本企業が進出しており、香港日本人商工会議所の2002年度の統計によるとその数は652社に上る。西武やそごうなどの百貨店、グリコや明治製菓などの食品、本田技研工業やトヨタ自動車などの自動車、さらにはプロミスなどのいわゆる消費者金融まで数多くの日本企業が進出し、香港の経済や金融面だけでなく、街の風景や香港の日常生活の一部分として深く溶け込んでいる。
また、近年ではパシフィック・センチュリー・サイバーワークスが東京駅八重洲口近辺の土地を買収し、高層オフィスビル「パシフィック・センチュリー・プレイス」を建てたり(2006年9月、オフィス部分を投資ファンドに約2000億円で売却)、同じく東京都内中心部にマンダリン・オリエンタルホテルやペニンシュラ・ホテルがオープンするなど、香港企業による日本進出も活発に行われている。
なお、貿易収支は日本からの輸出が343.7億アメリカドルに対し、香港からの輸出が13.2億ドル(2004年)と、大幅な貿易赤字状態となっている。
[編集] 建築
[編集] 超高層建築
香港では、特に中心部の市街である香港島北部において、山がちで狭い地勢からヴィクトリア湾沿いに超高層建築が林立している。1972年に建てられた中環(Central)のジャーディーン・ハウス(怡和大廈:Jardine House:地上52階建・高さ178.5m)を皮切りに、現在では世界第5位の高さを持つ、2003年竣工でシーザー・ペリ(Seser Pelli)設計による香港国際金融中心・第二期(地上88階建、高さ415.8m)を筆頭に数多くの超高層建築が見られ、中には1985年竣工のノーマン・フォスター(Sir Norman Foster)設計による香港上海銀行(HSBC)・香港本店ビルや、1988年竣工のポール・ルドルフ(Paul Rudolph)設計によるリッポーセンター(力寶中心:Lippo Centre)、1990年竣工のイオ・ミン・ペイ(I・M・Pei、貝聿銘)設計による中国銀行タワー(中銀大廈:Bank of China Tower)など世界的に著名な建築も含まれる。
2010年には、西九龍(West Kowloon)地区のユニオンスクエアにKPF設計の環球貿易廣場(International Commerce Centre:地上108階建、高さ484.0m)が完成し、これは今後香港で最も高い建物となる予定である。
加えて香港島の向い、ヴィクトリア湾を挟んだ九龍半島側にも超高層建築郡が出来つつある。これは九龍市街の埋立てが近年急速に進んだ事、そして1998年に九龍灣地区にあった啓徳空港(KaiTak Airport)が廃港となり、九龍上空の建設規制が大幅に緩和された事による(「再開発」の項で詳述)。
現在、香港の超高層建築の集積率は世界で2番目に多く、これはアメリカ合衆国のニューヨーク市、マンハッタン地区に次ぐものである。
主な香港の超高層建築は次の通り。
- 現在完成している主な超高層建築
- 香港国際金融中心・第二期 (Two International Finance Centre):地上88階建・高さ415.8m…2003年竣工/箇所:中環
- セントラルプラザ (中環廣場:Central Plaza):地上78階建・高さ374.0m…1992年竣工/箇所:灣仔
- 中国銀行タワー (中銀大廈:Bank of China Tower):地上72階建・高さ367.4m…1990年竣工/箇所:金鐘
- ザ・センター (中環中心:The Center):地上73階建・高さ346.0m…1998年竣工/箇所:上環
- ニーナタワー (如心廣場:Nina Tower One and Two):地上80階建・高さ318.8m…2006年竣工/箇所:荃灣
- 長江センター (長江集團中心:Cheung Kong Center):地上63階建・高さ282.9m…1999年竣工/箇所:金鐘
- 現在建設中の主な超高層建築
- 環球貿易廣場 (International Commerce Centre):地上108階建・高さ484.0m…2010年竣工予定/箇所:西九龍
- 港島東中心 (One Island East):地上69階建・高さ280.0m…2008年竣工予定/箇所:太古
- 河内道重建項目 (Hanoi Road Redevelopment Project):地上64階建・高さ275.0m…2007年竣工予定/箇所:尖沙咀
- 九龍站第六期 (Union Square Phase Six):地上68階建・高さ265.0m…2007年竣工予定/箇所:西九龍
またビル建設時に用いる作業員の足場として、殆どの建設現場で大量の竹材が使用される。これは香港に隣接する中華人民共和国の広東省などで、丈夫で安価な竹が大量に入手出来るからである。この竹材の足場を用いて高層ビルを建設すると言う方法は香港の他、マカオ特別行政区、台湾(中華民国)、中華人民共和国などで見られ、アジアの一部地域特有の光景となっている。
[編集] 再開発
近年は啓徳空港が廃止されランタオ島沖の香港国際空港に移転した事で、九龍地区の高さ規制が外され再開発事業が活発に行われている。九龍・旺角地区の『ランガムプレイス』(朗豪坊:Langham Place、地上59階建て、高さ255.1m)などはその代表格である。
また西九龍地区ではオフィス、住居、ショッピングモール、ホテルなどを兼ね備えた巨大複合施設の『ユニオンスクエア』(Union Square)が2010年に向け建設中であり、ここに隣接して『西九龍文化施設群』(West Kowloon Cultural District Project)と呼ばれる現代美術館や劇場、ホール、展示場、スタジアムなどを兼ね備えた文化施設が建設される見込みである。啓徳空港跡地のある九龍城地区や九龍湾地区では、空港用地跡の敷地を利用して、オフィスと住居を主体とした複合施設を建設する計画がある。
香港島北部の市街地、特に灣仔(Wan Chai)地区でも環境整備と言う名目で再開発が進められているが、ここでは古くからの街区と言う事もあり抗議活動が展開され、急激な開発は元来居住している住民の同意を必ずしも得られていない実情も垣間見られる。
[編集] 住居
伝統的な村落の形式は、外部の者の攻撃や盗難を防げる「圍」(ワイ)と呼ばれる城壁の中に切妻の家を立てるのが普通であった。この形式は、現在も新界の客家集落に一部残されている。また、現在では見掛ける機会はほとんど無くなったが、香港島南部の香港仔(Aberdeen)や九龍の深水埗(Sham Shui Po)、新界の西貢(Saikung)などでは、古くから蛋民などと呼ばれる、水上生活を営むものも見られた。
イギリスの統治が始まると、洋風建築もでき、第二次世界大戦以前の中心地区ではコロニアル・スタイルの建築が印象的だったが、大戦以後は国共内戦後の中華人民共和国からの難民によって建築様式が変更された。
1950年代までは1階が店舗で、2階が住居である伝統的なショップハウスと呼ばれるスタイルを踏襲していたが、1950年代以降はそれまでのショップハウスの柱廊を取り払い、中層化したペンシルビルになった。また急激な人口増加に対応する為、1950年代から1960年代には九龍などの郊外に、政庁はプレハブ方式による下層が工場、上層がアパートである同規格の建築群を大量に建設した。また香港への難民の流入による住居の特異な例として、九龍の九龍城地区に存在し1994年に取り壊された、九龍寨城(Kowloon Walled City)などの例も挙げる事が出来る。
この時期までの、香港の住環境は必ずしも良好と呼べるものではなく、この状況を改善するべく1980年代以後は政庁主体で計画的な大規模開発が行われ、低層部に商業施設を造り、その上に庭園付きの高層住宅を造るスタイルが一般的になった。
現在では、政府と民間開発業者の主導で九龍地区や新界地区の沙田(Sha Tin)、元朗(Yuen Long)、将軍澳(Tseung Kwan O)、青衣(Ting Yi)、そしてランタオ島の東涌(Tung Chung)などを中心に超高層住宅を伴う大規模なニュータウンが建設され、同時に鉄道網も整備されている。また、香港島や九龍地区などでも超高層マンションが数多く建設されており、中には高さが250mを超える建物も幾つか完成している。
香港の住宅価格は非常に高く、ニューヨークやロンドン、東京など世界的に高値と認識されている都市の水準に迫るか、場合によってはそれを上回る価格で取引が行われる事もある。これはオフィスや工業用地など、香港の不動産全体に対し共通して言える現象でもある。
香港は元々狭小な領域しかない上、山がちで不動産開発の容易な平地が少なく、また駐車場用地や関税の問題から自家用車などの容易な所持が難しいため、公共交通機関の発達している市街中心部や要衝へと需要が集中している。この為不動産の価格が押し上げられ、結果的に海岸部の埋立てが加速的に進み、市中に超高層建築が林立した。半山區(Mid Levels)や跑馬地(Happy Valley)などの高級住宅地では、隣接する山地の中腹に山自体を越える様な高さの超高層住宅を建設する事も珍しくない。
- 香港の主な超高層住宅
- 擎天半島 (The Sorrent):地上74階建・高さ256.3m…2003年竣工/箇所:西九龍
- 君臨天下 (The HarbourSide):地上74階建・高さ255.0m…2003年竣工/箇所:西九龍
- 曉盧 (Highcliff):地上74階建・高さ252.4m…2003年竣工/箇所:跑馬地
- 海名軒 (Harbourfront Landmark):地上66階建・高さ232.6m…2001年竣工/箇所:紅磡
- 凱旋門 (The Arch):地上65階建・高さ231.0m…2005年竣工/箇所:西九龍
[編集] 観光
観光産業が経済的に大きな位置を占めるということもあり、香港政府観光局とによる海外での宣伝、誘致活動が大々的に行われており、現在、観光親善大使を香港出身のハリウッドスターであるジャッキー・チェンが務めている。
香港島中西區には香港上海銀行(HSBC)や中国銀行・香港分行、香港国際金融中心(IFC)などをはじめとする超高層オフィスビルやホテルが、九龍城區、油尖旺區等の繁華街には大規模なショッピングモールや様々なジャンルのレストラン、高級ブランドのブティックやエステサロンなどが立ち並び、活況を見せている。
また、古くから「100万ドルの夜景」の異名を持つほど夜景が美しいことで世界的に知られており、特に香港島のビクトリア・ピークからの夜景や、油尖旺區のビクトリア・ハーバーにあるウォーターフロント・プロムナード近辺から見る香港島の夜景は壮観である。12月のクリスマスシーズンから旧正月にかけては、ビクトリア・ハーバー沿いに建つビルに特別のイルミネーションが施される。
郊外や島嶼部に行くと昔ながらの風景を楽しむことができる他、自然が多く残されており、ハイキングなどを楽しむことができる。また、2005年9月に香港の新たな名所として香港ディズニーランドがオープンした。
近い上に観光資源が豊富なことから、1970年代の海外旅行ブームのときより日本人の間で人気の旅行先としての地位を保っている。また、それに対し近年は日本が香港市民の人気の旅行先として定着しており、当初は東京(東京ディズニーランドや原宿など)を主な旅行先とするケースが多かったものの、近年は東北地方の温泉地周りや、北海道でのスキー、大阪や九州のテーマパークなど、その目的地が日本全国へと広がっており、香港市民の日本へ対しての興味の幅広さがうかがわれる。
[編集] 観光スポット
- 香港島
- 九龍半島
- ウォーターフロント・プロムナード
- アベニュー・オブ・スターズ(星光大道)
- 香港芸術館
- 香港スペース・ミュージアム(香港太空館)
- 香港歴史博物館
- ネイザン・ロード(彌敦道)
- 九龍公園
- 香港文物探知館
- 男人街(テンプル・ストリート(廟街)の通称)
- 女人街(通菜街の通称)
- 黄大仙廟
- ウォーターフロント・プロムナード
- 香港島・九龍間
- ビクトリア・ハーバー(維多利亞港)
- スターフェリー(天星小輪)
- ビクトリア・ハーバー(維多利亞港)
- レパルスベイ(淺水湾)
- スタンレー・マーケット(赤柱市場)
- オーシャンパーク(海洋公園)
- 沙田競馬場(沙田馬場)
- 香港ウエットランドパーク(香港濕地公園)
- ランタオ島(大嶼山)
- 香港ディズニーランド(香港廸士尼樂園)
- ポーリン寺(宝蓮寺)
- ゴンピン360(昂平360)ロープウェー
- ラマ島(南丫島)
- 長洲島
- 望夫石(沙田區)
[編集] ホテル
コンデナスト・トラベラーやインスティテューショナル・インベスターなどのホテルランキングで高い評価を受ける超高級ホテルや国際的チェーンホテルから、長期滞在者向けの低価格宿泊施設までさまざまなホテルが揃っている。
- ザ・ペニンシュラ香港
- マンダリン・オリエンタル・香港/ザ・ランドマーク・マンダリン・オリエンタル
- インターコンチネンタルホテル・香港
- カオルーン・シャングリラ/アイランド・シャングリラ
- シェラトン・香港
- グランドハイアット・香港
- コンラッド・香港
- ホテル・ニッコー・ホンコン
- 重慶大厦
[編集] 交通
- 詳細は香港の交通を参照
[編集] 香港内
[編集] 自動車
島嶼部を除く殆どの道路が完全に舗装されている他、郊外との間は高速道路と一般道で結ばれている。また、香港島と九龍半島の間は3本の自動車トンネルで結ばれている。
自動車交通はイギリス統治時代から変わらず左側通行となっている(ポルトガル領であったマカオも左側通行。中華人民共和国本土は右側通行)。道路標示も広東語と英語の両方で表記されており、ナンバープレートもローマ字と英数字の組み合わせのイギリスとほぼ同じものを返還後も継続して使用している。
なお、ナンバープレートの文字や番号はイギリス同様売買されており、アルファベット無しの「9」のナンバーが、自動車のナンバープレートとしては世界最高値の1300万香港ドルで落札されたという記録がある(「九」と「久」は広東語でも同じ発音で「永久」に通じ、縁起のいい数字とされている)。この他、「儲かる」、「財産を築く」の意味に通じる「發」と発音が似ている「八」のナンバーが珍重されており、「8888」などのゾロ目のナンバーは高値で取引されている。
[編集] バス
イギリスの植民地時代の名残である2階建てバス(ダブルデッカーバス)や小型バスによるバス路線網が香港島、九龍、新界の香港内のほぼ全域を網羅している。
大手バス会社が運行する2階建てバスの他、個人営業のミニバス(始発地と終点のみ決まっていて路線を固定せず運行する赤いバス〔ミニバス〕と、いわば小型路線バスというべき緑のバス〔マキシキャブ〕の2種類がある)が安価な足として親しまれている。
[編集] タクシー
タクシーは車体の塗色によって営業エリアが決まっており、赤は香港島と九龍地区、緑は新界、青はランタオ島内となっている。
それぞれの営業エリアを越えてタクシーを利用する場合、エリアの境界付近などにあるタクシースタンドで乗り換えるか、そのタクシーが元の営業エリアまで戻るための有料道路代を客が負担して直行するかになる。ただし、後者は運転手が目的地への行き方を知っている場合に限られるので、注意が必要である。なお、香港国際空港へは営業エリアに関わらず、全てのタクシーが行くことができる。
また、1970年代後半頃より、その車種の殆どが5人乗りのトヨタ・クラウンと日産・セドリックの2種類になっており、日本と同じく自動ドアが装備されている(クラウンについては現在トヨタ・クラウンコンフォートが主流。因みに以前はその多くを中古として購入していたが現在は新車である)。
[編集] 鉄道
香港島と九龍半島の間、及び新界など郊外のベッドタウンと中心部の間を、MTRやKCR(九廣鐵路)など複数の鉄道で結んでいる。近年に全てのMTR駅に転落防止のスクリーンドアが設置されたと同時に、駅構内に空調設備も取り付けられ、構内の空調はより快適になった。
なお、香港国際空港と九龍との間は12分間隔で運行する「エアポート・エクスプレス(機場快綫)」でわずか24分(香港島の場合は30分)で結ばれている。
[編集] トラム
香港島内では1904年に開通された2階建てトラム(路面電車)が今も運行されており、賑やかな街中を縫うようにして走ることから観光客に人気がある。なお、同じく香港島内にあるヴィクトリアピークへは、ピークトラムというケーブルカーで連絡している。
[編集] フェリー
スターフェリー(天星小輪)をはじめとして、数社により複数の航路の横断フェリーが運航されており、市民の足として重宝されているだけでなく、特にスターフェリーは尖沙咀~中環・灣仔間という観光地間を結んでいることから、短いクルーズを楽しもうとする観光客の間で人気である。
また、ランタオ島(大嶼山)やラマ島(南ㄚ島などの離島(特に、ある程度の規模の定住者のある島や、海水浴シーズンのリゾート島)と香港島・九龍半島などの間にも、定期のフェリー便が頻繁に通っている。
[編集] 香港域外との交通
[編集] 道路
現在、香港の高速道路は、文錦渡、沙頭角、落馬洲(1989年~、本土側は皇崗)において、中華人民共和国本土側の深圳へ乗り入れが可能である。また、2007年7月1日(返還10周年記念日)の開通を目指して、深港西部通道が建設されている。さらに、海を跨いてランタオ島からマカオ・珠海に至る港珠澳大橋の建設も計画されている。
ただし、中華人民共和国側に乗り入れる自動車は香港のナンバープレートのほか、中華人民共和国(マカオの場合はマカオ)のダブルナンバー専用ナンバープレートも取得しておく必要がある。逆に、香港では左ハンドルの自動車の運行が禁止されているので、中華人民共和国本土の自動車が香港に乗り入れることはできない(例外として、中華人民共和国の一般のナンバープレートと、香港のナンバープレートの両方を取得してある車は大丈夫である)。
香港国際空港や九龍と広東省の広州、深圳、仏山、中山、恵州などとの間には香港の旅行会社が定期的に運行するバス便もある。また、トラックによる越境貨物運送も盛んに行われている。
[編集] 鉄道
広東省の省都である広州市や仏山市との間は、KCR(九廣鐵路)の運行する列車「城際直通車」でも結ばれている。九廣鐵路東線の紅磡駅が香港側のターミナルとなっている。また、一般の電車で国境手前の羅湖駅まで行けば、歩いて隣接する深圳に入ることもできる。
現在、羅湖駅の手前にある上水駅から、落馬洲まで支線を引く計画もある。完成すれば、鉄道で本土に入る第二のルートになる。また、広州と深圳・香港を結ぶ広深港高速鉄道も計画されている。香港には、同じく落馬洲から入り、九広鉄道西線に乗り入れ、西九龍ターミナルに至る計画である。ただし、九広鉄道西線は高速走行に適した使用ではないため、香港内では高速走行はできない。
[編集] 海路
隣接する諸都市との間には、高速船による航路が運行されている。マカオには、上環のマカオフェリーターミナルからTurboJET(噴射飛航)社が運航する水中翼船やジェットフォイルによる定期便が5-15分間隔で24時間運航されている。
また、これに比べ便数は少ないが、九龍の中港城や香港国際空港のスカイ・ピアからも発着している。マカオ住民が海外とのアクセスに香港国際空港を利用するために、これらの海路を利用することも多い。
広東省内の広州市や東莞市の虎門、珠海市、深圳の蛇口、中山市などへは九龍の中港城から高速船が多く出ている。また、香港は古くから国際航路の重要な寄港地として知られているが、近年では南シナ海を運航する大型クルーズ船の寄港地としても知られており、多くの大型クルーズ船が九龍半島にある客船ターミナルに発着している。
[編集] 航空路
香港をベースとする航空会社としてキャセイパシフィック航空、香港ドラゴン航空、オアシス香港航空、ホンコン・エクスプレス、香港航空、貨物専門航空会社のエア・ホンコンがある。特にキャセイパシフィック航空は、香港を代表するフラグシップキャリアである。香港には民間旅客機が発着できる空港が1箇所しかない上、香港の領域が狭いことから全てが国際線の運航となっている。
第二次世界大戦前から使われていた九龍地区の旧香港国際空港、通称啓徳空港(KaiTak Airport)に代わり、新界地区のランタオ島北側にあるチェク・ラプ・コック(赤鱲角)島を造成、新しい空の玄関として香港国際空港(Hong Kong International Airport)が建設され、1998年7月に開港した。現在は旧宗主国であるイギリスとの間や中華人民共和国本土、中華民国や近隣アジア諸国との間には頻繁に航空便が運行されており、特に中華民国の台北近郊にある台湾桃園国際空港との間には、日中は1時間に1本以上の割合で運航されている。
なお、マカオとの間には航空便は運航されていないが、ヘリコプターによる定期便が香港島の上環にあるマカオフェリーターミナルの屋上とマカオのフェリーターミナルとの間で運行されている。
[編集] 日本との定期便
現在、キャセイパシフィック航空、香港ドラゴン航空、日本航空、全日本空輸、ユナイテッド航空、ノースウエスト航空が成田国際空港から1日12便から13便を、キャセイパシフィック航空、日本航空、全日本空輸、エア・インディアが関西国際空港から1日数便、その他キャセイパシフィック航空が中部国際空港、新千歳空港、福岡空港などからも週4便から1日数便程度の直行便が就航している。
またキャセイパシフィック航空や香港ドラゴン航空などでは、中華民国の台北近郊にある台湾桃園国際空港経由で就航している便もある。また、チャイナエアラインやエバー航空などの中華民国の航空会社を使い、日本の各都市から台湾桃園国際空港で乗り継いで香港へ行く事も可能である。
なお、客船による海路での定期便は運行されていないが、不定期に運航されているクルーズ客船や貨客船を利用すれば渡航することは可能である。
[編集] 通信
香港では郵便、電話、インターネットなど地球上で使用可能な通信手段は概ね全て享受出来、サービス品質も世界の国と地域の中では最も高い部類に入る。ただし、電報は利用者が減り、サービスが終了している。電話に措いては多数の通信運営会社が設立され、各社の自由な競合の結果、香港の固定電話や携帯電話市場で消費者は安価で良質なサービスが受けられるようになった。
[編集] 郵便
香港での郵便事業は香港郵政(Hong Kong Post)が行っており、これはイギリス統治時代から引き継がれたものである。1997年の中華人民共和国への返還後も、中国郵政とは切り離して運営されている。ただし返還にあたっては、香港郵政のCIが変更されるなどの変化が見られた。現在、香港にある郵便ポストの色は『深緑』であり、これはコーポレートカラーにもなっている(イギリス統治のロイヤルメール時代は、香港郵政のコーポレートカラーは『赤』であった)。万国郵便連合(UPU)に準拠する。
[編集] 電話(固定)
固定電話同士の市内間通話料金は、基本的に無料である(データ通信は課金対象となる)。香港の固定電話事業のサービスは数社が行っている。最大手は電訊盈科(PCCW)で、その後に和記電訊(Hutchison Telecom)や新世界電訊(New World Telecom)などが続く。香港では固定電話にもナンバーポータビリティ制度が存在する為、各社の競合が見られる。
国際電話に至っては、香港ではその運営会社が数十社があると言われており、料金からサービス品質まで、消費者にとっては様々な選択が可能となっている。
市内には公衆電話が多数設置されている。中には、クレジットカードが使用できたり、公衆電話端末の液晶ディスプレイからインターネットを閲覧できる高機能型のものもあるが、携帯電話などの普及によりその数は減少傾向にある。
[編集] 電話(携帯電話)
現在香港では、多数の携帯電話運営会社が乱立している状態にあり、その間で競合が激化している。香港の携帯電話普及率は概ね人口比の8割~9割で、世界で最も高い水準にある。各社とも電波受信エリアの人口カバー率はほぼ100%であり、地下鉄やトンネル、超高層ビルなどを含む香港のほとんどの箇所で発着信が可能である。
- 香港の主な携帯電話会社
-
- 3香港(Hutchison Telecom)
- 數碼通(SmarTone-Vodafone)
- 新世界傅動網(New World Mobility)
- CSL (CSL 1010 / One Two Free)
- 万衆 (Peoples)
- PCCW Mobile (元・Sunday携帯電話)
香港で最も使用されている携帯電話は、第二世代携帯電話 (2G) と呼ばれるGSM方式である。現在、CDMA方式などの第三世代携帯電話 (3G) へ徐々に切り替えが移行している。月極めによる一般的な契約形態に加えて、プリペイド式携帯電話の様な前払い料金制での契約も多い。
香港の携帯電話では、諸外国と同様に着信にも課金が行われる。
また、日本国内で契約された国際ローミングを対象としている携帯電話(またはPHS端末)のうち、香港で使用可能なローミングサービスはNTTドコモ、au、ソフトバンクモバイルの3社から提供されている。国際ローミングを対象としていない日本の携帯電話は、香港では使用できない。
[編集] インターネット
香港でのインターネット接続は、普及率の高いケーブルテレビやADSLなどのブロードバンドが主流である。また、FTTH(光ファイバー接続)も普及してきている。香港のインターネット普及率は、概ね8割程度と高水準である。数多くのサービスプロバイダーが事業を展開しており、日本の企業ではSo-netなどが進出している。
香港では個人のインターネット普及率が高く、市街の至る箇所に無線LANのホットスポットが設置されているが、所謂インターネットカフェの様な公共性のあるネット環境は比較的少ない。ホテルもブロードバンド有料の例が多い。
1997年の『一国二制度』の方針により高度な自治権を有する香港では、中華人民共和国政府によるインターネット接続のいかなる言論規制や監視も行われない事となっており、現在はその方針が遵守されている。
[編集] 報道・メディア
香港基本法は言論および報道の自由や通信の秘密を規定している。中華人民共和国本土と異なり、これらの規定は比較的遵守されている。ただし、広告主となる企業の多くは、中華人民共和国本土で活動するうえで、中央政府の意向を気にせざるを得ない。香港経済における本土系企業のプレゼンスも増大している。そのため、広告収入に依存するメディアには、自主規制する傾向が出ているといわれる。また、有力なメディアが中華人民共和国よりの企業に買収されるケースも起こっている。皮肉なことに、最も中国共産党政府に批判的な『蘋果日報』が始めた低価格路線が、独立したメディアの存続を危機にさらし、広告収入への依存を強めているという側面もある。
主な新聞には、中道および右派として『信報財経新聞』、『明報』、『東方日報』、『蘋果日報』などがある。『蘋果日報』が最も中国共産党政府に批判的といわれるが、最近は遠慮がちになってきたとも言われる。『信報財経新聞』は経済専門誌、『明報』は高級紙だが、それ以外は日本のスポーツ新聞に近い内容が多い。一方、左派の新聞としては、『文匯報』『大公報』『香港商報』などがある。左派の新聞は、一般読者が少ないものの、中国共産党政府の強い影響下にあり、本土系企業の広告収入も多く得ているといわれる。
(テレビに関しては、テレビの記述を参照)
[編集] 言語
[編集] 公用語
公用語は英語と中国語であるが、事実上の共通語は、方言の1つである広東語である。人口の 95.2%が広東語を常用もしくは理解し、38.1%が英語を常用もしくは理解する。英語は中国語に対する上位言語であり、イギリスの統治が始まってから1974年までの間、唯一の公用語とされていたが、中国語(普通話に近い形で書いて広東語で発音する)も事実上の公用語であった。香港はイギリス領(植民地)であると同時に国際自由港であるため社会的上昇の手段として英語の取得は重要であり、英語教育の指向性は高かった。2003年より、学科の内容理解を深めることを目標に、中学・高校で中国語を用いて授業を行なうことを奨励する政策(母語教学)を実施している。
中華人民共和国の開放改革政策により、1980年代後半から中国本土との往来が盛んになったことから、普通話(北京語をベースにした中国語の標準語。香港では一般的に「国語」と呼ぶ)が普及しつつある。かつては北京語で授業を行う学校は、中国共産党系ないしは中国国民党系の学校だけであったが、中華人民共和国への返還を控えた1990年代からは、大部分の小中学校で普通話会話の授業を導入している。返還後、政府の会議も、北京語の同時通訳が用意されるのが当たり前になっている。
一般的に中国語は繁体字で表記されるが、中国返還後、政府関係の資料は簡体字でも提供される例が増えている。香港では広東語を表記するための方言字も多く使われており、政府も香港増補字符集という文字セットを制定している。
歴史上の経緯から、香港で使われている英語はイギリス英語の影響を強く受けている。そのため、日本でよく目にするアメリカ英語による表記と比べて、例えば下記のような違いがある。
- "centre"、"colour"など、単語の一部がイギリス風の表記をされる場合が多い。
- 建物の階層の数え方は、地上階(日本の1階)を"ground floor(G/F)"と呼び、その上の階層を"first floor(1/F)"、"second floor(2/F)"…の様に数える。
- 「地下道」を"subway"、「エレベーター」を"lift"、「小学校」を"primary school"と呼ぶ(アメリカ英語ではそれぞれ"underpass"、"elevator"、"elementary school")。
[編集] 他の言語
広東語以外の中国語集団としては、北京語、客家語、潮州語、上海語、閩南語などを母語とする人たちがいる。また、香港手話を母語とする中国系の人たちがいる。外国出身者では、タガログ語、インドネシア語、ヒンディー語、日本語、タイ語などを母語とする人たちが比較的多い。
[編集] 香港における人名
かつてイギリスを宗主国としていたことから、香港には本名とは別に英語名を持つ人が多く存在する。これは、例えば「陳(チャン・Chan)」と「張(チャン・Chang)」の様に中国語の人名が英語を母語とする者にとって区別が困難であったり、発音し難いものであったりするために個人識別の補助手段としてイギリス人が現地人の使用人や生徒等に名付けたのが起源であるといわれている。
香港人の名乗る英語名のほとんどは、役所への届出を経て名付ける正式な名前では無く(例外として、中国語圏以外に出自を持つ香港人が中国語名と外国語名を共に正式な名前とする場合など)通称のようなものであるため、IDカードやパスポートなどへの記載は各自の選択に任されている。またそれ故、自由に名乗り、名乗ることを止め、または改名することができる。
香港人の英語名は、学校で英語の授業を受ける際に教師などによって名付けられたり、家庭によってはそれ以前の幼少期から本名と並んで名付けられたりする。他に、仕事上の必要(欧米人とのビジネスの機会が多いなど)に応じて自ら名乗るケースもある。もちろん、その者の社会的な地位や考え方などによっては英語名を持たない場合もありうる。
具体的な名乗り方は、多くの場合「英語名-姓」の順に名乗る(例:陳港生(本名)=ジャッキー(英語名)・チェン(姓))が、会話上では英語名のみで呼び合うことが多い。ビジネスの名刺など、中国語名と姓名のアルファベット表記を併記する様な場合は、漢字で本名を記載し、それに併せて「英語名-名(または名のイニシアル)-姓」(例:張卓立・Charles C.L. Chang)と記載する。また、姓を真ん中にした表記も見られる。
ちなみに、欧米圏の言語を母語としない者が欧米風の名を名乗る他のケースにクリスチャンネームがあるが、前述のとおり香港人の英語名はこれとは別の由来によるものなので、英語名を名乗っていることとその者の信仰には関係が無い場合が多い。
[編集] 教育
学年度は9月に開始され7月までの2学期制で、1学期目は9月から2月で、2学期目は3月から7月までとなっている。
[編集] 幼稚園
2006年、香港政府は幼稚園児を持つ家庭への「学券」(教育バウチャー)の配布を発表した。当初は、非営利の幼稚園に限定するとしていたが、営利の幼稚園や子供をそこに預けている人々から反発され、政府は2007年9月以前の限っての時限適用することを発表した。
[編集] 初中等教育
イギリスの制度に準じ、初等教育6年間、中等教育7年間(前期中等教育3年間、後期中等教育2年間、予科2年間)となっている。義務教育は、初等教育と前期中等教育の合計9年間で、その間の授業料は無料となっている。
[編集] 高等教育
政府認可を受けた法定大学(公立)が8校ある。1911年に創立された香港初の総合大学である香港大学や、1963年に3学院の合併により設立された香港中文大学が国際的に著名である。長らく、香港の大学は、この2校だけであった。その後、1984年に香港城市大学、1991年に香港科技大学、1994年に香港理工大学と香港浸会大学、1999年に嶺南大学が成立した。新設された香港科技大学以外は、いずれも既存の学院からの昇格である。他に香港公開大学がある。さらに2006年12月、樹仁学院が正式な大学への昇格を認可され、香港初の私立大学(政府からの資金援助を受けない)である香港樹仁大学となった。
大学以外の高等教育機関としては、法定学院(公立)が2校、註冊専上学院(私立)が2校ある。詳細は中国語Wikipeia「香港の高等教育」の項を参照。
また、2000年からは「副学士」制度が導入された。アメリカのコミュニティー・カレッジが授与する準学士や日本の短期大学士に相当するが、香港では大学などが実施する2年もしくは3年のコースとして実施されている。
[編集] 3+3+4学制
3+3+4学制は、返還後、董建華行政長官が推進した教育制度改革(中国語)の一環である。中等教育における予科(2年間)を廃止し、1年間ずつ後期中等教育と大学に振り分ける。その結果、前期中等教育が3年間、後期中等教育が3年間、大学が4年間となる。新制前期中等教育は2006年度から、新制後期中等教育は2009年度から、新制大学は2012年度から開始される。
改革の理由は2つある。従来の予科の教科内容が専門的かつ高度すぎ、むしろ大学入学後に学習するのが適切な部分が多いとの批判があった。また、3+3+4学制のほうが、アメリカ合衆国など主要な諸外国の教育制度と親和性が高いとされた。
後期中等教育(日本の高校に相当)から理科系と文科系に分かれるため、前期中等教育の3年生で選択が求められる。従来の後期中等教育修了テスト「香港中學會考」と予科修了テスト「香港高級程度會考」は、「香港中學文憑考試(中国語)」に一本化される。
[編集] 文化
- 詳細は香港の文化を参照
[編集] 映画
映画産業がイギリスの植民地時代から盛んであり、ゴールデン・ハーベストなどの大手映画制作会社の本拠地がある。
また、1960年代から現在に至るまで、ブルース・リーやジャッキー・チェン、サモ・ハン・キンポー、チョウ・ユンファなど数多くの世界的に有名な映画スターを生み出してきているほか、ウォン・カーウァイ、ジョン・ウー、 レナード・ホー などの世界的に有名な映画監督を輩出しており、その存在感は非常に高い。
[編集] テレビ
地上波では、TVBとATVの2局があり、広東語と英語による放送が各2チャンネルずつ、合計4チャンネルである。広東語放送はマカオや広東省各地で受信されているだけでなく、マレーシアやシンガポール、オーストラリアでも一部番組が放送されており、香港文化伝搬のメディアとなっている。
鳳凰衛視などの香港系の衛星放送チャンネルもあるが、法規制を受けて、英語または国語で放送している。中国国内の衛星放送もおおむね受信可能であるが、個人で受信する例は多くない。
主なホテルでは、客室で日本の民放やNHKの国際放送や欧米、中華人民共和国本土を含むアジア各国の番組を見られるようにしている例が多い。
[編集] 美術
九龍の尖沙咀にある香港藝術館(Hong Kong Museum of Art)や、新界の沙田にある香港文化博物館(Hong Kong Heritage Museum)などの美術館や博物館では、新旧の作家の作品を鑑賞する事が出来る。また、香港の各地にも個人や法人の経営などによるギャラリーが点在しており、灣仔の香港藝術中心(Hong Kong Arts Centre)では最近の作家を中心とした作品の展示が行われている。
2年に一度、香港の美術の祭典である『香港ビエンナーレ』が開かれる。また、イタリアのヴェネチアで2年に一度開かれる『ヴェネツィア・ビエンナーレ』にも、香港出身のアーティストによる作品が香港代表として出展がされる。
香港の著名な作家としては、トリコロールのシートを使用した作品で知られるスタンレー・ウォン(又一山人)や、グラフィックデザイナーのアラン・チャン(陳幼堅)などが挙げられる。特にアラン・チャンは日本の三井住友銀行のロゴなど、香港以外での企業CIやインテリアをデザインしている事でも知られる。
また香港発のデザイン情報誌『Idn』が発行されるなど、香港はアジアの中でも美術に関する意識は比較的高い位置にあると考えられる。香港は広告産業が盛んである土地柄、香港の美術は各種コマーシャルと密接に関わりがある事も多い。近年では造形作家のマイケル・ラウ(劉建文)やエリック・ソー(蘇勲)、鐵人兄弟(brothersfree)などを筆頭としたフィギュアなどの立体造形作品、『時空冒険記ゼントリックス』(時空冒險記ZENTRIX)や『春田花花幼稚園』シリーズに代表される香港製アニメーションなどの製作も盛んになっている。
香港の生活や歴史、文化などからインスパイアされた作品が多いが、ヨーロッパや日本、アメリカなどの文化から受けた印象を作品に反映させる例も多く見られ、貿易都市ならではの一面も伺わせる。
その中で、特に香港での日本からの影響は大きい。これは香港で放映される番組などで、日本のアニメーションやドラマなどのコンテンツが数多く提供されている事が考えられる。これは若年層の中では既に文化の中心のひとつともなり、しばしば若手作家による作品の題材となる事もある。
[編集] 音楽
中華民国に並ぶ中国語、広東語圏内のポピュラー音楽の流行発信地の1つとして、アジア圏内で人気が高い多くの歌手を多数輩出している。また、粤劇や国楽の演奏団や、イギリスから伝わったバグパイプの楽団などの特徴ある音楽団体も多い。なお、アメリカやイギリスのポピュラー音楽の人気も高いが、平井堅や浜崎あゆみなどの日本人歌手、アーティストも安定した人気を保っており、CDショップにはJ-POPのコーナーもある。
2006年7月10日~7月13日にかけて、香港文化中心(Hong Kong Cultural Centre)と香港市民大会堂(City Hall)で、国際青少年合唱祭がアジアでは初めて開催された。
[編集] ファッション
東京と並ぶアジアにおけるファッションの発信地として君臨しており、上海灘、ジョルダーノ、ジョイスなどの有名ブランドやセレクトショップの他、アラン・チャンやジョアンナ・ホーなどの世界的に著名なデザイナーやクリエイターを多数輩出している。地元デザイナーやブランドが多数いる上、中華人民共和国本土やアジア諸国など広大なマーケットを持つことから、香港ファッションウイーク(香港時装節春夏系列/秋冬系列)や香港国際毛皮時装展覧会(香港ファーファッションフェア)などのファッション関連のフェアやトレードショーなども定期的に行なわれている。
[編集] スポーツ
スポーツの国際大会では、中華人民共和国の本土とは別に、「チャイナホンコン」として出場する。これは隣接するマカオも同様である。ただし、卓球選手など、本土から香港へ移住して出場する選手も少なくない。なお、香港出身のオリンピック金メダリストはヨットミストラル級のリー・ライ・シャン(李麗姍)選手だけである。
近年に香港で行われる大規模なスポーツイベントとしては、「香港セブンス」と呼ばれる7人制ラグビーの大会や、市民約3万人が参加するスタンダード・チャータード香港マラソンなどがある。
また、2008年北京オリンピックの馬術競技が香港の沙田競馬場及び隣接した施設で開催される予定となっている。
[編集] 宗教
仏教・道教、ついでキリスト教徒(1993年ではプロテスタント 25 万 8,000 人、カトリック 24 万 9,180 人)が多い。
道教に根ざした思想や風習がひろく市民の間に浸透している。関帝や天后など道教の神を祀った寺院(道観)が、中心部・郊外を問わず、各所に建てられている。また、近代的なビルの一角やオフィス、店舗の片隅に関帝が祀られていたり、路傍などに土地神を祀る小さな祠がしつらえられていることも多く、そこには多くの場合、線香や供物が絶やさず供えられている。
イギリスによる長年の統治の影響により、キリスト教も比較的ひろく信仰されている。歴史的な建造物であるものから雑居ビルの一室のものまで含めた各宗派の教会や、キリスト教系の団体を母体とする福祉施設や学校などが数多く存在している。他にも仏教寺院やイスラム教のモスクなどもある。
[編集] 食文化
[編集] 中華料理
広東、潮州、四川、上海、北京、台湾、マカオ、客家などをはじめとする中華料理店が香港中にある他、飲茶の本場として知られており、これらの料理を楽しむために訪れる観光客も多い。この為もあり、香港政府観光局は毎年「Best of the Best-香港料理大賞」を開催して、料理界の盛り上げに一役買っている。
[編集] その他の料理
イギリス統治時代の影響から食文化も欧米化されており、イタリア料理やフランス料理、ドイツ料理などの洋食の人気も高い。また、比較的古くから日本料理も高い人気を保っており、在留邦人向けでなく、地元住民を主なターゲットとした寿司屋やラーメン店、居酒屋なども多い。
他にも、家政婦や警備員、IT関連の職種に従事するためフィリピンやインドネシア、インド、タイなどからやってきている人たちも多く、これらの国の料理を中心としたエスニック料理店も多く、輸入食材を扱う店もあちこちにある。
[編集] 軽食・ファストフード
洋風または中華風の軽食を「茶餐廳」と呼ばれるカフェで食べることも多く、各種ファストフード店や、「餅店」と呼ばれるケーキ屋、パン屋も香港中で見ることが出来る。また、コンビニエンスストアでも軽食を買える。かつて、多かった屋台は衛生上制限を受け、決められた場所でまとまって営業をしているにとどまる。
[編集] 菓子
また、日本の菓子(「零食」と呼ばれる)の人気も高く、コンビニエンスストアやスーパーマーケットでは「ポッキー」や「コアラのマーチ」、「かっぱえびせん」などの日本直輸入や現地生産の日本ブランドの菓子を多く見かける上、「零食物語/OKASHI LAND」や「優の良品/AJI ICHIBAN」など、日本語表記の菓子チェーン店も存在する。
[編集] 映画の中の香港
美しい風景と生活観溢れる風景が隣り合わせにある香港を、香港で製作された映画だけでなく、ヨーロッパや日本、アメリカで製作された多くの映画作品が舞台に、または劇中の一場面として描いている。
- 慕情 - (1955年/アメリカ)
- スージー・ウォンの世界 - (1960年/アメリカ)
- 香港クレージー作戦 - (1963年/日本)
- 007は二度死ぬ - (1967年/イギリス)
- 燃えよドラゴン - (1973年/香港・アメリカ合作)
- 続エマニエル夫人 - (1975年/フランス)
- 死亡遊戯 - (1978年/香港・アメリカ合作)
- ポリス・ストーリー/香港国際警察 - (1985年/香港)
- 男たちの挽歌 - (1986年/香港)
- いますぐ抱きしめたい - (1988年/香港)
- 恋する惑星 - (1994年/香港)
- 天使の涙 - (1995年/香港)
- GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊 - (1995年/日本)
- ゴジラVSデストロイア - (1995年/日本)
- 香港大夜総会タッチ&マギー - (1997年/日本)
- 無問題モウマンタイ(No Problem) - (1999年/香港・日本合作)
- 花様年華 - (2000年/香港)
- 007 ダイ・アナザー・デイ - (2002年/アメリカ・イギリス)
- 新警察故事(New Police Story) - (2004年/香港)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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