玉置半右衛門
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玉置半右衛門(たまおき はんえもん、天保9年10月1日(1838年11月17日) - 明治43年(1910年)11月1日)は、明治時代の八丈島出身の実業家。南方諸島の開発に力を尽くした。
[編集] 鳥島
西洋に大きな需要がある羽毛布団の原料となるアホウドリが鳥島に多数生息することを聞いた玉置は、東京府から鳥島無料拝借の許可を得、1888年(明治21年)に数十人の人足とともに島に渡った。玉置らは、島の鳥資源が枯渇するまで乱獲を続け、羽毛採取のために年間に20万羽、以後15年間で推定約500万羽のアホウドリを撲殺したとされる。玉置はこの事業により巨万の財を得たが、その影響で鳥島のアホウドリは絶滅寸前まで追い込まれ、島から姿を消した。
その後1902年(明治35年)に鳥島が大噴火し、玉置の人足ら島民125人全員が死亡する惨事となった(玉置自身は家族とともに1893年に東京に移住していたため無事)ことから、噴火収束後に「アホウドリの祟りでは」と囁かれたと言う。
[編集] 南大東島
1900年(明治33年)玉置は当時無人島であった南大東島へ入植者を送って開拓を行い、サトウキビの栽培により精糖事業を軌道に乗せた。
玉置は実業家としてよりも、悪名高き「鳥島のアホウドリ乱獲実行者」として有名であり、南大東島においても入植者に対していわゆる「植民地的経営」を行ったことから、現代においても悪徳経営者の評は拭いきれない。但し別の視点では、近代において南方の離島での開拓に果敢に立ち向かった経営者として評価される事もまた確かである。
[編集] 外部リンク
- 玉置半右衛門|近代日本人の肖像 (国立国会図書館) - 肖像写真あり
- 玉置半右衛門の生涯 (南大東島の歴史)