玉里鎮
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台湾省花蓮県玉里鎮 | |
地理 | |
位置 | 東経121°16" 北緯23°30" |
面積 | 252.3719km² |
人口 | |
戸口(2006年8月) | 8,740戸 |
人口(2006年8月) | 28,858人 |
政治 | |
行政区分 | 鎮 |
鎮長 | 劉徳貞 |
地方自治機関 | 玉里鎮民代表会 |
下部行政区画 | 15里322鄰 |
その他 | |
郵便番号 | 981 |
市外局番 | 03 |
鎮花 | - |
鎮鳥 | - |
鎮木 | - |
別称 | 璞石閣 |
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玉里鎮(ぎょくり/ユーリンし、ピンイン:Yùnglĭ、注音: ----、慣用読み:たまさと)は、台湾花蓮県に位置する鎮である。
目次 |
[編集] 地理
玉里鎮は花蓮県南東部に位置し、北は瑞穂郷と、東は豊浜郷、台東県長浜郷と、西は卓渓郷と、南は富里郷とそれぞれ接している。花蓮県第3の都市であり、県南地区の中心となっている。花東縦谷平原に位置し、西側は中央山脈、東は海岸山脈と山に囲まれ、秀姑巒渓とその支流が流れている。
[編集] 歴史
玉里鎮の旧名は「璞石閣」と称す。その由来については諸説あるが、有力なものとしては原住民である布農族語で「灰塵」を意味した事に由来するという説がある。これは秀姑巒渓が流れているが、寒気には干上がり風に吹かれて土塵が舞い上がることから命名されたというものである。ほかにも阿美族語の「派派可」の音訳という説もあり、阿美族語で「蕨」を「派派可」と称することから、蕨が豊富なために命名されたというものである。第3の説に1875年に台湾鎮総兵呉光亮が中央山脈を越え玉里に向かった際、秀姑巒渓の畔りに純白の玉石(大理石)が広がるのを見て、磨かれていない石(璞石)の有る場所に、「閣」楼街道を建築したことから「璞石閣」と命名されたというものである。
玉里鎮は古くは阿美族、布農族、西拉雅族及び噶瑪蘭族の活動範囲の交差地帯であった。清末より中路(八通関古道)の検察に伴い開発が進み、日本統治時代には台東庁璞石閣区が設けられ、後に璞石閣支庁と改められた。1917年に花東線鉄道が開通すると、まだ磨いていないという意味の「璞」を取り除き。「玉里」と改称された。1920年の台湾地方改制の際に「玉里庄」が設置され、1937年に「玉里街」に昇格、花蓮港庁玉里郡に帰属した。光復後に花蓮県玉里鎮と改編され現在に至っている。
[編集] 経済
[編集] 行政区
[編集] 歴代鎮長
代 | 氏名 | 任期 |
---|
[編集] 教育
区分 | 数 | 名称 |
---|---|---|
大学 | 0 | - |
技学 | 0 | - |
高中 | 1 | [国立玉里高級中学]] |
高職 | 0 | - |
国中 | 3 | 花蓮県立玉里国民中学 花蓮県立三民国民中学 花蓮県立玉東国民中学 |
国小 | - | - |
[編集] 交通
種別 | 路線名称 | その他 |
---|---|---|
鉄道 | 台東線 | 玉里駅 安通駅 |
省道 | 台9線 |
[編集] 観光
- 赤柯山
- 玉山国家公園
- 八通関古道
- 安通温泉
- 長良連家古厝
- 協天宮