長浜郷
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台湾省台東県長浜鎮 | |
地理 | |
位置 | 東経---°--" 北緯--°--" |
面積 | 155.1868km² |
人口 | |
戸口(2006年6月) | 2,784戸 |
人口(2006年6月) | 9,206人 |
政治 | |
行政区分 | 郷 |
郷長 | 陳徳成 |
地方自治機関 | 長浜郷民代表会 |
下部行政区画 | 18村498鄰 |
その他 | |
郵便番号 | 962 |
市外局番 | 089 |
郷花 | - |
郷鳥 | - |
郷木 | - |
別称 | 加走湾 |
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長浜郷(ちょうひん/チャンビンきょう、ピンイン:Chángbīn、注音: ----、慣用読み:ながはま)は、台湾台東県に位置する郷である。
目次 |
[編集] 地理
長浜郷は台東県北東端に位置し、北は花蓮県豊浜郷と、西は花蓮県玉里鎮、富里郷と、南は成功鎮とそれぞれ接し、東は太平洋に面している。山地を背にし海に面しており、丘陵地帯を中心とした地勢となっている。住民の多くは阿美族であり、ほかに布農族、噶瑪蘭族、平埔族なども分布している。
[編集] 歴史
長浜郷の旧称は「加走湾」であり、その由来には2説伝えられている。一つは阿美族語が転轉化したというものであり、阿美族が闘いの際に設けた「望楼」を意味したというものである。もう一つが阿美族の猟場で狩猟を行なった後、獲物を居住地に持ち帰る際に多くのゴキブリも連れ帰ったとされ、ゴキブリを意味する台湾語に近い音として「加走」が用いられたというものである。漢人の進出は光緒年間になり開始されている。
日本統治時代、この地は台東庁の管轄とされ、「加走湾庄」が設置された。1937年、この地の海岸線が長大であったことから「長浜庄」と改称され、台東庁成功郡へ帰属した。光復後は台東県長浜郷と改編され現在に至っている。
[編集] 経済
[編集] 行政区
[編集] 歴代郷長
代 | 氏名 | 任期 |
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[編集] 教育
区分 | 数 | 名称 |
---|---|---|
大学 | 0 | - |
技学 | 0 | - |
高中 | 0 | - |
高職 | 0 | - |
国中 | 1 | 台東県立長浜国民中学 |
国小 | 6 | 台東県立長浜国民小学 台東県立忠勇国民小学 台東県立寧埔国民小学 台東県立竹湖国民小学 台東県立三間国民小学 台東県立樟原国民小学 |
[編集] 交通
種別 | 路線名称 | その他 |
---|---|---|
省道 | 台11線 |
[編集] 観光
- 八仙洞
- 玉髓沙灘
- 霊岩洞
- 長浜平原
- 烏石鼻
- 加走湾遺跡
- 白桑安遺跡