田中明 (社会人野球)
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田中 明(たなか あきら、1977年12月1日~ )は、平成期の社会人野球の選手(投手、右投げ右打ち)である。一光に所属していた。182cm、80kg。現役時の背番号は16。
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[編集] 人物・来歴
- 愛知県出身。名古屋第一高卒業後、徳山大に進学。徳山大では大学選手権の出場経験を持つ。
- 大学卒業後の2000年に一光に入社。しかし1年目の冬のトレーニング中に手首とヒジを同時に痛め、2年目のシーズンを棒に振る。1年目はプロのスカウトも注目する素材であったが、3年目は登板しても打たれる繰り返しであった。
- 4年目に入る2003年シーズン前、成田稔夫監督(当時)と相談の上、外野手に転向。ここで打者に対峙する投手の心理を学んだと後に語っている。外野手として1シーズンを過ごした後、成田監督に再び直訴して投手に再転向。
- 社会人5年目の2004年、第75回都市対抗野球大会の東海地区予選で一光は敗れるが、第5代表の王子製紙が田中を補強選手として招聘。田中は王子製紙の投手陣事情から抑えを任され、5試合すべてに登板。うちチームがサヨナラ勝ちした2試合では勝ち投手となった。2勝3セーブ(もっとも社会人野球ではセーブを公式記録としていない)の活躍が認められ、大会の最優秀選手に贈られる橋戸賞を獲得、「東海の絶対的守護神」の異名をほしいままにした。
- 1回戦 対NTT北海道(札幌市) 9回1死から登板(0.2回)、無失点
- 2回戦 対JR東日本東北(仙台市) 7回1死から登板(3.2回)、無失点、勝ち投手
- 準々決勝 対シダックス(調布市) 7回1死から登板(2.2回)、無失点
- 準決勝 対JT(仙台市) 9回先頭から登板(1.0回)、無失点
- 決勝 対ホンダ(狭山市) 8回1死から登板(2.2回)、無失点、勝ち投手
- 翌年も一光として都市対抗野球大会の出場を逃したが、西濃運輸に補強され、同じく抑えを任される。
しかし、1回戦(対日本新薬(京都市))で先発投手が早いイニングに崩れ、ベンチワークが慌しくなる中、西濃運輸は7回から火消し役として田中を登板させたが、1-0で迎えた9回に先頭打者を四球で歩かせたのをきっかけに連続タイムリーヒットを浴び、逆転サヨナラ負けを喫する。「東海の絶対的守護神」の救援失敗という衝撃的な幕切れに東京ドームがどよめいた。 - さらに社会人野球ファンに衝撃を与えたのは、その年のオフ、田中が一光を退団したとのニュースであった。橋戸賞受賞からわずか1年、28歳での退団ということで他チームへの移籍も噂されたが、その後名古屋でタレントの峰竜太が番組の企画で「ドラHOTリューターズ」というチームを結成して茨城ゴールデンゴールズと対戦した試合で登板したのを最後に、現在どこの硬式野球チームにも所属していない模様。
[編集] 球歴
名古屋第一高(1993年~1995年)→徳山大(1996年~1999年)→一光(2000年~2005年)
[編集] 日本代表キャリア
なし
[編集] 主な表彰・タイトル
- 第75回都市対抗野球大会橋戸賞、大会優秀選手(投手)(2004年)
- 社会人ベストナイン(投手)(2004年)
- 第50回JABA静岡大会敢闘賞(2002年)