田原城 (河内国)
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田原城(たわらじょう)は河内国(現在の大阪府四條畷市上田原)の大和国との境界付近に建てられた戦国時代の山城である。
建造者は田原庄の荘官であった田原但馬守(名は不明・某と記される・洗礼名レイマン)で戦国時代に畿内の支配者となった三好長慶に属し、田原城も永禄三年(1560年)以降長慶の居城とされた飯森山城の支城として建てられたといわれる。(田原城より北に元の居館があった。)
田原但馬守は一説には松永久秀の被官であったという。三好氏の没落とともに田原氏も勢力を失い田原城も廃城とされた。田原城については絵図のみが残され史料は少ない。田原但馬守についても文書ではフロイスの書簡に名を留めるのみで、近くの千光寺跡に南北朝時代以降のものと思われる墓碑があり、その中に洗礼名の礼幡と十字及びイエズス会を示すΗが刻まれたものがある。