皇達也
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皇 達也(すめらぎ・たつや、1941年5月4日 - )は、元、テレビ朝日・プロデューサー、元・テレビ朝日サービス社長(現在、テレビ朝日サービス非常勤顧問、東映非常勤監査役)。
広島県出身。父は元広島大学学長で教育学者(教育行財政学)の皇至道(すめらぎしどう)、叔父も東北大学名誉教授、後に玉川大学文学部長を務めた教育学者の皇晃之(すめらぎきらゆき)(こちらもやはり教育行財政学が専門)。
[編集] 人物・エピソード
- 慶応義塾大学文学部在学中からNET(現・テレビ朝日)でアルバイトをし卒業後、同局入社。ドラマスタッフを経てバラエティ番組担当となりその後、同局の人気番組を手がける看板プロデューサーとして活躍した。その人脈の広さと傲慢な手法ぶりから、当時は週刊誌沙汰にもなり、名前通り「テレ朝の天皇」ともてはやされたが敵も多い。
- 後に高視聴率番組となった「欽ちゃんのどこまでやるの!」も最初視聴率はなかなか伸びず、萩本欽一流のスタッフへの荒療治が行われた。「視聴率が上がらないのは最近運のいい事があったスタッフがいるから、それを調べる」ということに。その時皇氏はマンションを買っていたため、マンションのカギを捨てる事にした。この後、ほどなくして同番組の視聴率は上がっていく。
- 代表的な番組として現在も続く「ミュージックステーション」。これも現在も続いている「ビートたけしのTVタックル」の初代のプロデューサーでもあった。ちなみに開始当初は「どーする?!TVタックル」というタイトルで司会は関口宏とビートたけし。ほどなくして関口が抜け「ビートたけしのTVタックル」に。
- 制作局長、スポーツ局長、事業局長などを経て1999年よりテレビ朝日取締役に就任したが、熾烈な役員レースに負け2001年6月に退任。年商60億規模のテレビ朝日サービス社長を経て、現在は同社顧問職。(名誉職はテレビ朝日グループにおける役員退後の規定により1年間で本年6月まで)
[編集] 代表的な番組
- 「やっちゃおう!!コント55号」
- 「コント55号笑ってたまるか」
- 「コント55号の60分一本勝負」
- 「欽ちゃんのどこまでやるの!」
- 「クイズ!!マガジン83」
- 「ベストヒットUSA」
- 「タモリ倶楽部」
- 「ビートたけしのスポーツ大将」
- 「ミュージックステーション」
- 「ビートたけしのTVタックル」(担当時のタイトルは「どーする?!TVタックル」)
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