相良長祗
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相良 長祗(さがら ながまさ、1501年(文亀元年) - 1525年1月31日(大永5年1月8日))は、相良氏の第14代当主。第13代当主・相良長毎の嫡男。官位は左兵衛尉。幼名は満乗丸。初名は長聖。のち長祗。庶兄に相良義滋・相良長隆。正室は伊東尹祐の娘。
1512年、父から家督を譲られたが、若年のために1518年に父が死ぬまでは実権が無かった。父の死後、相良氏の当主となったが、1524年に相良長定が犬童長広と共謀して人吉城を急襲し、家督を奪われた。長祗は水俣城に難を逃れたが、やがてそこも長定・長広の軍勢に攻められて、1525年に自害を余儀なくされた。享年25。
法号は大谷蓮世。
若年で家督を相続し、有能な父が若くして死去したことが、彼には不幸となったのである。
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