真田信政
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真田 信政(さなだ のぶまさ、1597年(慶長2年)11月 - 1658年3月8日(万治元年2月5日))は、江戸時代初期の信濃国松代藩主。真田信幸(信之)の次男。真田信吉の弟。正室は稲垣重綱の娘。子に信就、幸道、小出有重室、青山忠雄室、内藤政亮室らがいる。
慶長19年(1614年)からの大坂の陣に兄の信吉と共に徳川方として参戦したが、毛利勝永との戦いに敗れて兄と共に敗走した。元和3年(1617年)従五位下に叙任し内記を名乗る。元和8年(1622年)父信之の松代城転封に伴い、その領内で1万7000石を分知され大名に列する。寛永11年(1634年)兄である沼田城主信吉が早世し甥熊之助が相続すると、幼年の熊之助を後見して沼田領の支配に当たった。寛永16年(1639年)、熊之助の早世により沼田城主となる。この際、相続した沼田領3万石の内5000石を熊之助の弟信利に分与し、今まで領有していた松代藩内分の1万7000石は弟隼人正信重に譲った。
明暦2年(1656年)父が隠居したため松代藩の家督を相続したが、わずか2年で死去した。
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