神道夢想流杖術
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神道夢想流杖術(しんどうむそうりゅうじょうじゅつ)は、杖術の流派のひとつ。流祖は夢想権之助勝吉(正しい表記は、夢想(本姓は山本)權之助勝吉)。現在は一達流捕縛術、一角流十手術、一心流鎖鎌術、中和流短剣術が併伝されている。
『海上物語』と『二天記』では、夢想権之助は宮本武蔵に敗れたとされているが、当流の口伝では、後日に権之助が宝満山の竈門神社で祈願し杖術の研究を重ね、再び武蔵と立会い、ついに破った後に開いたと伝える。道歌に「疵つけず 人をこらして戒むる 敎えは杖の ほかにやはある」(平野國臣)とある。
事あるときに杖に装着するための袋槍の穂先を携帯していた者もいたという。
江戸時代初期に成立して以来、福岡藩で主に下級武士が学ぶ捕手術である「男業」のひとつとして伝えられてきた(神道夢想流杖術に併伝されている一達流捕縛術、一角流十手術、一心流鎖鎌術も男業であった)が、明治維新後、24代の統である白石範次郎や内田良五郎らによって全国普及の端緒が開かれ、昭和に入って白石の弟子、清水隆次、高山喜六、乙藤市蔵らによって本格的な全国普及が行われた。
杖術の流派では唯一、全日本剣道連盟に所属し現代武道である杖道の元となった。そのため日本の伝統的な棒術・杖術の流派中もっとも修行人口が多く、また、太平洋戦争の敗戦後、警察官がサーベルを携帯できなくなって代替する武器として警察が採用して以来、現在でも「警杖術」として正式に採用されている。
その技法の大要は突けば槍 払えば薙刀 持たば太刀 杖はかくにも 外れざりけり と伝書に記される。 すなわち杖は突き、払い、打ちの千変万化の技を繰り出すことができるということである。
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