福原有信
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福原 有信(ふくはら ありのぶ、1848年5月10日 - 1924年3月30日)は、1872年に資生堂の前身である調剤薬局を銀座に開き、1897年には化粧品を発売した、資生堂の創業者である。
[編集] 略歴
千葉県館山市の漢方医の家に生まれ、幕府医学所、明治維新後の大学東校(現在の東京大学医学部)で西洋薬学を学んだ。卒業後、海軍病院薬局長となる。
その翌年の1872年、23歳の時には、官を辞して、民間初の洋風調剤薬局となる資生堂を銀座に開業。当時の日本にはなかった医薬分業を唱えた。1888年には日本初の練り歯磨き「福原衛生歯磨石鹸」を、1897年には化粧水を発売。1917年には化粧品部を独立させて、今日の資生堂の基礎を築いた。
また、1888年には、設立発起人として帝国生命保険(現在の朝日生命保険)の設立に加わり、社長として生命保険の普及に貢献した。
1920年に箱根に完成した福原有信の大規模な山荘は、初代資生堂社長で写真家でもある息子の福原信三がフランク・ロイド・ライトに設計を依頼し、1918年に設計されたものである。[1]