福原貞俊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
福原 貞俊(ふくはら さだとし、生没年不詳)は毛利氏の家臣。福原広俊の子。毛利弘元に嫁いだ姉がいる。毛利氏筆頭家老となる福原広俊の父。下記の貞俊は孫に当たる。
福原 貞俊(ふくはら さだとし、1512年(永正9年) - 1593年9月5日(文禄2年8月10日))は、毛利氏の家臣。毛利氏の宿老であった福原広俊の嫡男。生年は1519年説もある。
福原氏は曽祖父の広俊の娘が毛利弘元の正室となっており、毛利興元や毛利元就を産んでいる。父の広俊も元就に家督相続を打診するなど、毛利家中での発言力は大きかった。貞俊も早くから毛利元就に仕えて各地を転戦し、1550年、それまでの功績や誠実な性格を元就に信頼されて毛利氏における筆頭重臣にまで取り立てられた。子孫は江戸時代の長州藩においても、一門家老として重用されている。
元就死後は毛利輝元を補佐し、吉川元春、小早川隆景、口羽通良と共に四人衆と称された。主な任務としては、隆景と共に山陽方面の政治や軍事を担当している。1584年、高齢を理由に隠居した。
なお福原氏には、戦国期から安土桃山時代にかけて広俊、貞俊、元俊を名乗った当主が複数いる。