福島城 (越後国)
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福島城(ふくしまじょう)は越後国頸城郡にあった近世の平城。福嶋城とも記される。新潟県上越市港町二丁目の上越市立古城小学校付近が本丸跡と考えられている。北は日本海、東は当時の保倉川、南には堀(現在の保倉川)、西は関川をはさんで中世以来の都市府中と向き合う場所に立地している。
[編集] 概要
上杉景勝会津移封の後に春日山城主となった堀秀治により、山城である春日山城に代わるものとして築城が始められた。その正確な時期は明らかでないが、慶長5年(1600年)以降まもなくであろうとされる。秀治の死後家督を継いだ堀忠俊の代に完成し、慶長12年(1607年)に忠俊は春日山城を廃して福島城へ移った。城下町建設にあたっては、春日山城下や府中から多くの町人が移住したと伝えられる。
慶長15年(1610年)堀忠俊の改易後に越後の領地を継承した松平忠輝が福島城主となる。忠輝は慶長19年(1614年)、関川を遡った内陸部に高田城を築城。これにより福島城は廃城となった。高田城下の町人町には、福島城下から移転したという由緒を伝える町が少なくない。
福島城跡は昭和42年(1967年)から部分的に発掘調査が行われ、石垣遺構や陶磁器片などが出土したが、縄張りの全体像や建造物については判明していない。
[編集] 関連項目
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