秋山武三郎
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秋山武三郎(あきやま たけさぶろう、明治6年5月8日(1873年) - 昭和13年3月6日(1938年))は、電気通信技術の専門家。勲五等(明治39年)。苦学して大成した後も、つね子夫人とともに勤倹に努め、昭和11年「郷里の教育基金に」と当時の米沢市予算の半分以上という20万円を寄付した。苦学力行の士として知られる。
置賜県米沢館山口町(現山形県米沢市)生まれ。明治19年 米沢中学校入学(現山形県立米沢興譲館高等学校)、山形尋常中学校、第二高等中学校を経て、明治32年 東京帝国大学工科大学卒業。逓信省電話局に勤め電話事業に従事した後、統監府に赴き電話の普及をはかる。明治44年 退官後、住友電線製造所支配人、住友電線専務取締役、日本電気株式会社取締役会長などを歴任した。
大学在学中に同郷の高野四郎とともに水力発電の滝の沢発電所(後に小野川発電所)を設計し、明治31年(1898年)米沢市に初めて電燈を点した。
[編集] 参考文献
- 米沢児童文化協会 編『郷土に光をかかげた人々』(米沢児童文化協会、1989年改訂2版)