種子島恵時
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種子島 恵時(たねがしま まさとき)は、戦国時代の武将。種子島氏の第13代当主。
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時代 | 戦国時代 | |||
生誕 | 文亀3年(1503年) | |||
死没 | 永禄10年3月14日(1567年4月23日) | |||
諡号 | 意釣 | |||
戒名 | 蓮住院日善大居士 | |||
官位 | 加賀守、左兵衛尉 | |||
氏族 | 種子島氏 | |||
父母 | 父:種子島忠時(第12代当主) | |||
子 | 種子島時尭 |
1503年、第12代当主・忠時の子として生まれる。島津忠良、島津貴久に仕え、武功を大いに挙げている。しかし禰寝氏との戦いに敗れて屋久島に逃れたこともあった。これは鉄砲が種子島に伝来した1543年の出来事であり、恵時が時尭に家督を譲った年代は確定的ではないのだが、恐らくはこの前後に時尭に家督を譲っていたのではないかと思われる。なお、鉄砲が伝来したとき、時尭のみの名前が多くの史書には知られているが、恐らくは父親の恵時も鉄砲に関する興味や製造については、大いに関心があったものと思われる。後に鉄砲が日本全国に知れ渡ったのは、この恵時の存在も大きいと思われる(時尭は1543年当時は16歳の青年であり、実権はまだ恵時の手にあったと思われる)。
1567年3月14日に死去。享年65。