第9師団 (日本軍)
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第9師団(だいくしだん)は、大日本帝国陸軍の師団の一つ。日清戦争の後、軍備増強の必要性から1898年(明治31年)新設された6師団の一つ。金沢で編成されたこの師団は北陸の富山・石川・福井各県の兵士で構成される。師団は大島久直中将の元日露戦争に出征し乃木希典大将率いる第3軍隷下で旅順攻略戦に参加する。この戦闘で師団所属の歩兵連隊長全員が負傷するという激しい戦争であった。続く奉天会戦では山砲兵第9連隊長が戦死する。戦後朝鮮半島駐留を経て1921年(大正10年)シベリア出兵に参加する。1932年(昭和7年)1月の第一次山東出兵に動員され、1935年(昭和10年)から満州に駐屯する。1937年(昭和12年)7月に発生した盧溝橋事件では吉住良輔師団長の元上海へ派遣される。11月に中国軍が潰走すると南京攻略戦に移り、南京陥落後は徐州会戦・武漢攻略戦に参加し昭和14年6月帰国する。1940年(昭和15年)から再び満州に駐剳し、1943年(昭和18年)7月には沖縄方面担任の第32軍に編入される。然し師団は台湾へ移転命令が下され、同地で終戦を迎える。
[編集] 師団概要
[編集] 歴代師団長
- 大島久直:1898年(明治31年)10月1日
- 塚本勝嘉:1906年(明治39年)7月6日
- 神尾光臣:1908年(明治41年)12月21日
- 川村宗五郎:1913年(大正元年)12月26日
- 橋本勝太郎:1916年(大正5年)3月24日
- 松浦寛威:1919年(大正8年)7月25日
- 星野庄三郎:1922年(大正11年)11月24日
- 伊丹松雄:1925年(大正14年)5月1日
- 永井来:1927年(昭和2年)7月26日
- 植田謙吉:1930年(昭和5年)12月22日
- 荒薪義勝:1932年(昭和7年)9月1日
- 外山豊造:1934年(昭和9年)8月1日
- 蓮沼蕃:1936年(昭和11年)12月1日
- 吉住良輔:1937年(昭和12年)8月26日
- 樋口季一郎:1939年(昭和14年)12月1日
- 原守:1942年(昭和17年)8月1日
- 田坂八十八:1945年(昭和20年)4月7日
[編集] 最終所属部隊
- 歩兵第7連隊(金沢)
- 歩兵第19連隊(敦賀)
- 歩兵第35連隊(富山)
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