箕作秋坪
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箕作 秋坪(みつくり しゅうへい、文政8年12月8日(1826年1月15日)-明治19年(1886年)12月3日)は、蘭学者。
備中(現・岡山県)の儒者菊池文理の次男として生まれた。はじめは箕作阮甫の、次いで緒方洪庵の弟子となった。このあと阮甫の三女・つねと結婚して阮甫の婿養子となり、つねとの間に4男をもうけた。蕃書調所(東京大学の前身)の教授手伝となり、維新後は三叉学舎の開設、明六社への参加等で活躍。妻つねの死後、つねの妹・しん(ちま、阮甫の四女)と再婚した。しんの夫・省吾は秋坪同様阮甫の婿養子だったが1人息子の麟祥を残して夭折し、その後しんは未亡人となっていた。しんとの間に生まれた長女・直子は人類学者の坪井正五郎に嫁いだ。なお長男・奎吾は夭折し、次男・大麓は秋坪の実家・菊池家の養嗣子となった。動物学者の箕作佳吉は三男で、歴史家の箕作元八は四男。