米津田盛
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米津 田盛(よねきつ ただもり、元和2年(1616年) - 貞享元年(1684年))は、江戸時代前期の大名。武蔵国・摂津国・河内国などで1万5000石を領した。江戸町奉行などを勤めた米津田政の長男。正室は永井尚政の娘。子は米津政武(長男)、米津田賢(次男)。従五位下、内蔵助、出羽守。
5000石の大身旗本・米津田政の長男として生まれる。米津家は三河以来の譜代の名門であった。寛永2年(1625年)、父の死により家督を相続。承応3年(1654年)、従五位下出羽守に叙任され小姓組番頭となる。万治元年(1658年)書院番頭、寛文3年(1663年)大番頭を歴任。寛文6年(1666年)、大坂定番に任命され河内国内で1万石を加増されて大名に列した。貞享元年(1684年)死去。後を長男・正武が継いだ。
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