細川利用
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細川 利用(ほそかわ としもち)は、肥後熊本新田藩の第9代藩主。
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時代 | 江戸時代後期 | |||
生誕 | 文化5年2月12日(1808年3月8日) | |||
死没 | 元治元年5月16日(1864年6月19日) | |||
別名 | 邦衛(幼名) | |||
墓所 | 熊本県玉名市高瀬の大覚寺 | |||
官位 | 従五位下、能登守 | |||
藩 | 肥後熊本新田藩主 | |||
氏族 | 細川氏 | |||
父母 | 父:細川利国、母:森田氏 養父:細川利愛 |
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妻 | 正室:戸田氏庸の娘・宝子(清観院) 側室:山川氏、千代野氏、鈴木氏、 西田氏、浦尾氏 |
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子 | 4男4女(細川利祐)、養子:細川利永 |
1808年2月12日、第7代藩主・細川利国の長男として生まれる。1810年に父が死去したとき、幼少のうえ、生母が側室だったために後を継げなかったが、1812年3月に第8代藩主で叔父の細川利愛の養子となり、1833年11月8日に利愛の隠居で後を継いだ。同年12月に従五位下、能登守に叙任する。
男児のほとんどが早世し、残っていた細川利祐も幼少のため、叔父の三男・細川利永を養子として後を継がせ、1856年7月21日に隠居した。1864年5月16日に死去。享年57。
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