戸田氏庸
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戸田 氏庸(とだ うじつね、安永9年4月3日(1780年5月6日) - 天保12年3月19日(1841年5月9日))は美濃大垣藩の第8代藩主。父は第7代藩主・戸田氏教。母は氏教の側室・根津氏。正室は戸田氏養の娘。子に戸田氏正、土井利順、堀田正義、北条氏久、娘(板倉勝職室→細川利用室)、娘(青山幸哉室)、娘(土井利忠室)ら。官位は従五位下。伊賀守。采女正。
安永9年(1780年)4月3日生まれ。文化3年(1806年)4月、父の死去により同年6月11日に家督を継いだ。藩政においては大垣城天守閣の修築、藩校・致堂館の設立などに尽力した。
しかし藩財政の悪化がいよいよ深刻となる中での天保12年(1841年)3月19日、62歳で死去し、家督は子の戸田氏正が継いだ。法号は霊誉瑞雲泰岳院。墓所は岐阜県大垣市西外側町の円通寺。
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