細川立則
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細川 立則(ほそかわ たつのり)は、肥後宇土藩の第10代藩主。
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時代 | 江戸時代後期から明治時代 | |||
生誕 | 天保3年9月29日(1832年10月22日) | |||
死没 | 明治21年(1888年)8月17日 | |||
別名 | 総丸(幼名) | |||
墓所 | 熊本県宇土市の泰雲寺 | |||
官位 | 従五位下、山城守 | |||
藩 | 肥後宇土藩主 | |||
氏族 | 細川氏 | |||
父母 | 父:細川行芬、母:毛利高翰の娘 | |||
兄弟 | 細川立穀、細川立則、織田信敬、 細川行真 |
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妻 | 正室:細川興武の娘 | |||
子 | 6男4女(細川立興、 娘(松平隼人之丞室)、 娘(毛利高謙室)、娘(細川興増室)、 養子:細川行真 |
天保3年(1832年)9月29日、第9代藩主・細川行芬の次男として生まれる。嘉永2年(1849年)10月に元服し、嘉永4年(1851年)5月24日、父が病気により隠居したため、後を継いで藩主となる。同年12月16日、従五位下、山城守に叙任する。文久2年(1862年)1月21日、養子の細川行真に家督を譲って隠居し、明治21年(1888年)8月17日に死去。享年57。
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