網走番外地
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『網走番外地』(あばしりばんがいち)は1965年4月18日、東映配給網により劇場公開されたヤクザ映画。主演高倉健。監督石井輝男。製作東映。公開時の併映は鶴田浩二主演の関東流れ者。シネマスコープ。92分。「新・網走番外地」シリーズ8作とあわせると18作がシリーズとして劇場公開された。
大雪原の脱走、トロッコによる追跡劇、列車による手錠切断から大団円まで主演の高倉健が熱演、スターダムに駆け上がった。この頃の石井・高倉コンビの映画は世の中から浮き上がってしまったチンピラや殺し屋が、体当たりで敵にぶつかって命を散らしていく内容が多く、「東京ギャング対香港ギャング」「ならず者」「いれずみ突撃隊」で高倉の骨太なヒーロー像は確立していった。石井は高倉のよさを生かしながら泥臭くならない二枚目半の魅力を引き出している。
また、共演の南原宏治、安部徹、田中邦衛、丹波哲郎と並んで嵐寛寿郎が扮した「鬼寅」は映画史に残る名キャラクター。千葉真一の「直撃!地獄拳 大逆転」(1974)にはセルフ・パロディでアラカンの鬼寅親分が登場する。
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[編集] 物語
注意 : 以降に、作品の結末など核心部分が記述されています。
冬の網走駅。汽車を降ろされた男たちはトラックに乗せられ網走刑務所へ護送される受刑者であり主人公の橘真一も腰縄で他の囚人たちとつながれていた。入所後、雑居房に入れられた橘は殺人鬼「鬼寅」の義兄弟として幅を利かせていた牢名主の依田や同じ新入りの権田と衝突、喧嘩の責任をとって懲罰房に送られる。
一人となった橘は幼かった自分と妹を飢えさせないために母が不幸な再婚をしたこと、養父の横暴に耐え切れず母と妹を残して家を出たことを回想する。都会へ出てやくざとなった彼は渡世の義理で人を斬り3年の刑期を宣告され網走刑務所に送られた。
入所から半年以上が過ぎ真面目に労役に汗を流す橘を囚人たちは点数稼ぎとして冷ややかに見る。仲間への意地から騒動を起こし再び懲罰房へ行かされる橘を保護司の妻木だけは親身になって相談に乗る。故郷の妹からの手紙によると母が死の床にあり1日も早く戻ってほしいという内容であり同情した妻木は仮釈放の手続きを約束してくれた。
一方、雑居房では依田、権田たちが脱走計画を練っており、密告すれば渡世の仁義を踏みにじるイヌとされ、巻き込まれた場合は仮釈放もないため橘は苦悩する。この脱走を直前になって失敗させたのは同じ雑居房にいた阿久田老人であり彼の正体こそ「鬼寅」と明かされる。鬼寅は橘の苦境を見抜き命がけで彼を救ったのだった。
翌日、森林伐採の労役でトラックに乗せられた依田らは無蓋の荷台から飛び降りる。権田と手錠でつながれた橘も彼と一緒に飛び出して脱獄囚とされてしまう。報告を聞いた妻木はやっともらった橘の仮釈放認可の書類を破りすて二人を追う。橘と権田の前には地平線まで続く大雪原が広がっていた・・・。
[編集] キャスト
[編集] シリーズのタイトル
[編集] 石井監督作品
- 網走番外地
- 続網走番外地(1965年度興行収入ベスト10 : 6位)
- 網走番外地 望郷篇(1965年度興行収入ベスト10 : 4位)
- 網走番外地 北海篇(1965年度興行収入ベスト10 : 2位)
- 網走番外地 荒野の対決(1966年度興行収入ベスト10 : 9位)
- 網走番外地 南国の対決(1966年度興行収入ベスト10 : 3位)
- 網走番外地 大雪原の対決(1966年度興行収入ベスト10 : 1位)
- 網走番外地 決斗零下30度(1967)
- 網走番外地 悪への挑戦(1967)
- 網走番外地 吹雪の斗争(1967)
※1965年度(65年4月~66年3月)1966度(66年4月~67年3月)
[編集] 他監督作品
- 新網走番外地(1968)
- 新網走番外地 流人岬の血斗(1969)
- 新網走番外地 さいはての流れ者(1969)
- 新網走番外地 大森林の決斗(1970)
- 新網走番外地 吹雪のはぐれ狼(1970)
- 新網走番外地 嵐を呼ぶ知床岬(1971)
- 新網走番外地 吹雪の大脱走(1971)
- 新網走番外地 嵐呼ぶダンプ仁義(1972)
[編集] 備考
- 原作は、伊藤一が1950年代前半に網走刑務所で1年数か月服役し、出所後その経験をもとに1956年、網走番外地という名で出版した小説。1959年、日活がこの小説を同名のタイトルで原作に忠実に映画化している。松尾昭典監督で、主演は小高雄二と浅丘ルリ子。ヤクザの石塚はケガの手当を受けた医師の養女・みち子と愛し合うようになるが、傷害罪で逮捕され、最果ての網走刑務所に送られる。みち子は親の反対を押し切って石塚と結婚し、看護婦をしながら彼の出所を待ち、石塚はみち子の手紙に励まされて更生して出所するという純愛物語。
- 原作を読んだ石井輝男は題名を生かしながら、米映画「手錠のまゝの脱獄」(1958)の日本版ともいえるものに書き替えた。東映はこのシナリオで高倉健が脱獄囚であり、ヒロインもいないラプロマンスもないため興収を見込めないとして、石井が北海道のロケハンより戻ってきたときには予算はカット、白黒映画にすると決定していた。それに対し何とかカラーで撮ってくれと執拗に迫った高倉健に対し大川博社長は文句があるなら主役を梅宮辰夫に変えるぞと言い放ったという。
- 高倉健の歌った主題歌はシングルバージョン、LPバージョン、(シリーズ作品それぞれの)オープニングテーマバージョン・劇中の挿入歌のバージョンがあり、それぞれ歌詞や演奏が異なっているので、マニアにとっては収集しがいのあるものとなっている。
- 2005年に監督の石井輝男が亡くなると、彼の生前の希望を尊重して網走市内に墓碑が建てられ、遺骨が納められることとなった。また、石井の功績を讃えて博物館網走監獄の正門前に石碑が建てられ、2006年8月6日に除幕式が行われた。石井が所有していた網走番外地の台本等は、同博物館に寄贈された。
[編集] 参考図書
- 任侠映画が青春だった(山平重樹)