胡漢民
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胡漢民(こかんみん、1879年12月9日 - 1936年5月12日)は中国の政治家。名は衍鴻、字は展堂という。広東省番禺県出身。中国国民党の長老。
清の末頃日本に留学し,弘文書院や法政大学で学んだ。孫文と共に行動し、1905年には中国革命同盟会に参加し、機関誌「民報」を足場に論を張った。1911年には辛亥革命で孫文に従い、南京臨時政府の大総統秘書長になり、その後広東都督とともに大元帥の職権代行者となった。1925年の孫文が死去後は、国民党右派の中枢となる。1928年には立法院院長になるが、1931年蒋介石と対立し、南京に監禁され、職も免ぜられることになった。この事件をきっかけに、蒋介石に対する反対運動がおこり、そのため蒋介石は一時下野した。以後も蒋介石,汪兆銘らと対立し、西南派の中核として活躍し、国民党内での反蒋介石,反汪兆銘勢力を形成し対抗した。また,1932年以降、国民党中央執行委員会西南執行部常務委員をつとめている。1936年に急死した。