自証院
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自証院(じしょういん、? - 寛永17年8月21日(1640年10月6日))は、江戸幕府3代将軍徳川家光の側室。名はお振(ふり)。尾張藩主徳川光友の妻・千代姫の母。父は岡半兵衛重政の子吉右衛門。母は町野長門守幸和と祖心尼の娘於たあ。吉右衛門の母は石田三成の次女。したがって自証院は三成の曾孫にあたる。異説として、三保氏出身とも言われる(『自証院記』)が、千代姫が尾張家に嫁ぐと岡家は尾張藩士となり、七百石を領したこと、「岡家由緒書」にこの間の事情があることから、「自証院記」では石田三成の血が入っている事を隠そうとしたものと思われる。
祖父・重政は蒲生秀行の仕置家老で秀行の信頼が厚かったが、秀行の死後藩政でその未亡人振姫(徳川家康の三女)と対立して切腹を命じられた。その子吉右衛門は妻の父町野長門守(やはり蒲生家の重臣で重政の死後仕置家老を命じられた)に保護され、蒲生家が改易になった時に退転した町野長門守が春日局を頼って江戸に出たのに同行した。祖心尼は叔母である春日局の引き立てで大奥に上がり、実力者であった(後年、春日局が亡くなるとその跡をついで大奥の最高実力者になっている)。その孫娘である自証院は春日局の養女として大奥に入り、家光の側室となった。 俗説では自証院は男装して家光に迫ったのがきっかけで側室になったと言われている(家光には男色のうわさがあった)。
自証院は寛永14年(1637年)に家光の長女・千代姫を生む。寛永17年(1640年)に死去し、法常寺へ葬られ、後に自証院へ改葬された。戒名は自証院光山暁桂大姉。
ちなみに、東京都新宿区にある自証院(天台宗)は、お振を供養するために設立された寺である。
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