従一位
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
目次 |
[編集] 従一位
従一位は正一位の下に位し、正二位の上位にあたる。律令制下においては女王ないし臣下の女性に与えられる最高位であった。本来、位階の序列に含まない令外官であるが歴代の関白の多くが従一位ないし正一位に叙せられ、或いは太政大臣が従一位に叙せられた。 また、後には本来、大臣の職に就くことができない公卿が従一位に昇叙した際、准大臣が宣下されるなどの慣習も定着した。
江戸時代、引退し大御所となった前将軍が太政大臣に叙せられた際、従一位に昇叙した他、将軍の生母などが叙位された。五代将軍徳川綱吉の母 桂昌院がその例であり、従一位昇叙後、「一位様」と敬称された。
明治時代においては、従一位は公爵の初叙に相当し、公爵以下の爵位の者も年齢により従一位に昇叙することができるなど、江戸時代と比較し、従一位への昇叙が拡大した。 今日、栄典としての位階では、戦後、正一位の叙位がないため、位階における事実上の最高位となっており、叙位の際には天皇より親受することとなっている。勲等では大勲位に相当し、内閣総理大臣として功績顕著な者などが死後、従一位に叙せられている。
[編集] 従一位に叙された人物
日付は叙位日(1872年12月2日までは旧暦)。没時追賜の場合は直前の位階を参考付記。叙位年がはっきりしている人物のみ記載。
[編集] 古代・中世
|
|
[編集] 近世・近代
|
|
[編集] 日本国憲法施行後
鈴木貫太郎を除き没時追賜。
- 牧野伸顯(外務大臣、内大臣) 1949年(昭和24年)1月25日 (正二位)
- 松平恆雄(初代参議院議長) 1949年(昭和24年)11月14日 (正二位)
- 幣原喜重郎(内閣総理大臣、衆議院議長) 1951年(昭和26年)3月10日 (従二位)
- 鈴木貫太郎(内閣総理大臣) 1960年(昭和35年)8月15日 (正二位)
- 吉田茂(内閣総理大臣) 1967年(昭和42年)10月20日 (正三位)
- 佐藤榮作(内閣総理大臣) 1975(昭和50年)年6月3日 (従四位)