花魁淵
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花魁淵(おいらんぶち)は、山梨県甲州市塩山一之瀬高橋(旧塩山市)にある滝・史跡。国道411号線(青梅街道)沿いの、甲州市と丹波山村の境にあり、地元では銚子滝と呼ばれている。
おいらん淵の異名は、武田勝頼の時代に起きた悲劇に由来し、心霊スポットとしても知られる。別名で五十五人淵ともいう。
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[編集] 概要
おいらん淵は、山梨県甲州市の国道411号線沿いに存在する滝・史跡である。
下り線側(青梅方面から山を登る方向)の谷側に車両数台分の駐車スペースがあり、旧塩山市および塩山市観光協会の案内板、および新興宗教団体が建立した慰霊碑が立てられている。また谷に向かって張り出したコンクリート製の展望台と手すりがあり、その下には滝が流れている。
周辺は、渓流釣りや山菜採り、トレッキングやドライブ・ツーリング等で訪れる人も多く、晴れた昼間には長閑な山岳路の雰囲気を満喫することができ、特に新緑の頃と紅葉の時期には絶好のドライブスポットとなる。
丹波川を挟んで向かいの鶏冠山の山中には、黒川千軒と呼ばれる金山(黒川金山)の遺構が現在も存在している。 黒川金山は、古くは武田家の隠し金山と言われ、武田軍の軍資金の多くがここから産出したとされている。また一度閉山された後、江戸時代にも採掘が行われ、現存する黒川千軒の遺構はこの時代のものとされる。
この地域は、地質的な性質から黒川金山以外にも多数の金山が存在し、これらの金山が閉山した後も、現在でも川沿いでは稀に砂金などが採取されることもあるという。
[編集] 由来と背景
花魁淵という名前は、戦国時代に起こった悲劇に由来するとされる。
武田氏滅亡の折、武田氏の隠し金山と言われたこの黒川金山も閉山となった。このとき、金山の秘密が漏れることを危惧して五十五人居た遊女を柳沢川の上に吊った宴台の上で舞わせ、舞っている間に藤蔓を切って宴台もろとも遊女たちを淵に沈めた…という故事に由来する。
悲劇があったのは、この場所よりもさらに上流のゴリョウ滝のあたりであったとされ、現場には小さな碑が残されている。また下流の丹波山村には、この際の遊女たちの遺体を引き上げてお堂を建てて供養したとされる言い伝えが残るが、このお堂は現存していない。
以上の概要は、現地に建てられた塩山市観光協会による看板に書かれている。
一方、この花魁淵という名は、後につけられたものとされる。
これには、戦国時代には遊女を指す「花魁」という単語は無かった(花魁は江戸時代になって成立した)こと、また明治の世にこの地を訪れた役人が、紅葉する奥多摩の渓谷美を「まるで着飾った花魁のように美しい」と形容したことなどが語り継がれている、といった点などが根拠として挙げられる。
[編集] 心霊スポット
この花魁淵は、多摩地区や山梨の若者たちが肝試しなどに訪れる心霊スポットとしても知名度が高い。
実際に、この付近は青梅・塩山双方からともに遠く、最寄の民家までも数km以上あるという深山幽谷の地であり、崖沿いの急カーブの突端に位置し、携帯電話も圏外となる僻地であるといった地理的・物理的なロケーション等からも、体調不良や事故、車両故障などのリスクを考えれば、少なくとも夜間に訪れることは避けた方が良いという点は確かであろう。また治安の面でも、特に夜間は不安の残る場所と言える。
淵の近くには、上記の悲劇を説明する看板と供養碑が建てられている(この看板をすべて読むと呪われるとも言われている。また一時期、この看板は黒いペンキでイタズラされて塗り潰されていた)。 今でも殺された花魁たちの怨念がここには染み付いており、少女の泣き声(?)が聴こえるという。また、女性はいかない方がいいという説もある。
[編集] 関連項目
カテゴリ: 山梨県の建築物・観光名所 | オカルト