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薬師寺長忠(やくしじながただ、生年不詳 - 永正4年8月1日(1507年9月7日))は、薬師寺元長の子。細川氏家臣、摂津守護代。
当初、薬師寺家当主の座は、摂津守護代職と共に兄の元一が継いでいた。しかし元一が永正元年(1504年)に、細川政元の養子の一人、澄元を擁立すべく挙兵した際にこれを鎮定し、その功によって長忠が後を継いだ。
永正4年(1507年)に香西元長・竹田孫七らと謀り政元を暗殺、澄之を擁立する。しかし澄元や高国らの攻撃を受けて敗北、戦死した。