藤原家忠
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藤原 家忠(ふじわらのいえただ、康平5年(1062年) - 保延2年5月14日(1136年6月15日))は、平安時代後期の公卿。花山院左大臣とも呼ばれ、花山院家の祖である。父は藤原師実。母は源頼国の娘。子に忠宗らがある。
1072年(延久4年)従五位下となり、1080年(承暦4年)従三位、翌々年参議に昇進した。権中納言・権大納言・大納言を経て、1122年(保安3年)右大臣。1131年(天承元年)左大臣従一位となった。異母兄師通の急死後に摂関の地位を望んだが実現する事はなかった。
近年では、『大鏡』の増補部分の執筆者を家忠であるとする説もある。
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