藤原顕季
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藤原顕季(ふじわらのあきすえ、天喜3年(1055年) - 保安4年9月6日(1123年9月27日))は、平安時代後期の貴族、廷臣、院の近臣。通称、六条修理大夫。
歌道家の流派のひとつ、六条藤家の祖。美濃守藤原隆経の息子。母は藤原親国の娘、従二位親子(白河天皇の乳母。「藤三位」の名で後拾遺和歌集に入集)。大納言藤原実季の養子となる。藤原長実・藤原家保・藤原顕輔らの父。藤原得子・藤原家成・藤原清輔らの祖父。母親が乳母であった関係から白河天皇に近く、養父の藤原実季の影響もあって比較的好調に官界で活躍した。
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[編集] 官職
また白河上皇の信任が厚く、院の別当に任ぜられ、側近として厚遇された。正三位修理大夫にまで至った。
[編集] 歌人として
- 承暦2年(1078年)の『承暦二年内裏歌合』、寛治7年(1093年)の『堀河百首』、『郁芳門院根合』、『堀河院艶書合』、『鳥羽殿北面歌合』などに出詠して名声を博した。
- 藤原忠通主催の歌合ほかで判者をつとめるなど、時代を代表する歌人であった。自身も歌合を主催するなど精力的に活動した。
- 「人麿影供(えいぐ)」
- 家集『六条修理大夫集』がある。
- 金葉和歌集、詞花和歌集、千載和歌集、新古今和歌集、新勅撰和歌集、新続古今和歌集にその歌が収録されている。
[編集] 代表的な歌
- み山いでてまだ里なれぬ時鳥うはの空なる音をやなくらん(金葉和歌集)
- 夏衣すそのの草葉ふく風におもひもあへず鹿やなくらん(金葉和歌集)
- わが恋は烏羽にかく言の葉のうつさぬほどはしる人もなし(金葉和歌集)
- わぎもこが声たちききし唐衣その夜の露に袖はぬれにき(金葉和歌集)
- 種まきしわが撫子の花ざかりいく朝露のおきて見つらん(詞花和歌集)
- 五月闇さ山の峰にともす火は雲のたえまの星かとぞみる(千載和歌集)
- 夜とともに行方もなき心かな恋は道なきものにぞありける(千載和歌集)
- 霞しく木の芽はるさめふるごとに花の袂はほころびにけり(新勅撰和歌集)