藤森神社
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藤森神社 | |
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所在地 | 京都府京都市伏見区深草鳥居崎町609 |
位置 | 北緯34度57分05秒 東経135度46分18秒 |
主祭神 | 素盞嗚命 |
社格等 | 府社 |
主な神事 | 藤森祭(5月5日) |
藤森神社(ふじのもりじんじゃ)は、京都市伏見区にある神社である。旧社格は府社。
5月5日に行われる駆馬神事や、菖蒲の節句の発祥地として名高い。6月から7月にかけて紫陽花園が公開され、3,500株にもおよぶ紫陽花が見もの。
目次 |
[編集] 祭神
本殿(中座)に主祭神・素盞鳴命と別雷命・日本武命・応神天皇・神功皇后・武内宿禰・仁徳天皇、東殿(東座)に天武天皇・崇道尽敬皇帝(舎人親王)、西殿(西座)に崇道天皇(早良親王)・伊予親王・井上内親王を祀る。
[編集] 歴史
創建年代や祭神には諸説ある。社伝では、神功皇后3年(203年)、三韓征伐から凱旋した神功皇后が、山城国・深草の里の藤森に纛旗(とうき、いくさ旗)を立て、兵具を納め、塚を作り、祭祀を行ったのが当社の発祥であるとしている。当初の祭神は、現在本殿に祀られる7座であった。藤森の地は現在の伏見稲荷大社の社地である。その地に稲荷神が祀られることになったため、当社は現在地に遷座した。そのため、伏見稲荷大社周辺の住民は現在でも当社の氏子である。なお、現在地は元は真幡寸神社(現 城南宮)の社地であり、この際に真幡寸神社も現在地に遷座した。
東殿は、天平宝字3年(759年)に藤尾の地に崇道尽敬皇帝(舎人親王)を祀る神社として創建されたもので、元は藤尾社と称していた。永享10年(1438年)に当社に合祀された。
西殿は、延暦19年(800年)に早良親王を祀る神社として塚本の地に創建され、文明2年(1470年)に当社に合祀された。早良親王は生前当社を崇敬していた。陸奥で反乱が起こったとき、早良親王は征討将軍となり当社に詣でて戦勝を祈願した。その出陣の日が5月5日で、これが現在の駆馬神事の元である。
[編集] 施設
八幡宮社と大将軍社は足利義教が造営したもので重要文化財の指定を受けている。
[編集] アクセス
[編集] 外部リンク
- 藤森神社(神奈備)