蝗害
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蝗害(こうがい)とは、トノサマバッタなど、相変異 (動物)を起こす一部のバッタ類の大量発生による災害のこと。日本での発生は稀なため、漢語の「蝗」に誤って「いなご」の訓があてられたが、日本で水田に生息し、食用になる分類学上のイナゴ類がこの現象を起こすことはない。
水稲や畑作作物などに限らず、全ての草本類を数時間のうちに軒並み食べ尽くしてしまう。当然、地域の食糧生産はできなくなるため、被害地の住民は深刻な飢饉に陥いる。大量に発生したバッタは大量の卵を産むため、数年連続して発生するのが特徴である。日本を含む大抵の国では、殺虫剤の普及により過去のものとなっているが、アフリカ諸国など国土が広大で組織的な駆虫が難しい地域では、現在も局地的に発生し大きな被害を出している。
真の蝗害は突発的かつ甚大な農業被害をもたらすが、通常これが見られない日本列島ではいわゆるウンカ(ウンカ科の昆虫の総称)による吸汁害が突発的に生じ、稲に大きな被害をもたらす。これは日本で越冬できないトビイロウンカやセジロウンカが梅雨前線に沿った気流によって中国南部から移動してきて一時的に大発生するためである。被害の様相は真の蝗害とは著しく異なるが、やはり真の蝗害の実体験に乏しい日本では、このウンカによる被害に対しても、蝗害の漢語が当てられることとなった。
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[編集] 原因
真の蝗害をもたらす飛蝗現象は農学上重要であるとともに生態学的にも興味深い現象であるため、多くの研究が積み重ねられている。詳しくは相変異の項目を参照のこと。
日本で歴史的に蝗害の語があてられてきたウンカの害についてはウンカの項目で記述する。
[編集] 蝗害の災害史
[編集] 世界の蝗害史
[編集] 日本国内の蝗害史
国内では、日本後紀に初めての蝗害の記録を見ることができる。また、江戸時代中期から後期にかけては、各地に頻発して飢饉の原因となった。これらは真の蝗害ではなく、ウンカによる害と考えられている。
日本における真の蝗害は近代になって明治時代から昭和初期にかけて、北海道の開拓地で生じている。開拓に伴う森林伐採によってそれまで存在しなかった広大な草地が生じたことが原因と考えられ、ほとんどのケースが開拓地の放棄に至っている。
[編集] 対策
殺虫剤の散布が効果的であるが、一定以上拡大してしまえば効果は無い。北海道の開拓地では、災害地への金銭的な補助の意味合いも兼ね、バッタの卵を買い取る制度があった。
[編集] 外部リンク
- IRIN Locust Swarm 2004 film(英語):2004年のアフリカ大陸西部~北部の蝗害のビデオ