袁胤
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袁胤(えんいん、ピンイン Yuán Yìn)は、中国、後漢末の武将。同時代の群雄の一人であった袁術の甥。一説では伯父・袁紹らの反乱に激怒した董卓によって都にいた大叔父の袁隗ら袁一門と共に惨殺された袁冀の子といわれる(または袁術の従弟との説もあるらしい)。
197年、袁術の命により、揚州の中心都市丹陽の太守として着任した。しかし袁術による丹陽支配を快く思わない孫策によって攻められ、追放される。
袁術の死後、袁胤は袁術の女婿である黄猗らと共に袁術の柩とその子の袁燿とその生母・妹らを守って、かつて袁術の配下だった廬江太守劉勲の元へ逃れた。袁胤らはそのまま劉勲の本拠皖城に身を寄せていたが、劉勲が軍を出している隙に皖城は孫策に攻め落とされ、袁胤も捕らえられた。その後の消息は不明である。
なお、演義では、袁術の死後に曹操配下の徐璆によって、皆殺しにされた。その際に玉璽も奪われ、主君の曹操に献上されたことになっている。